11. 動詞の概説


11.1.

11.2. 時制(時称)

11.3. 人称

11.4.

11.5.

11.6. 語幹頭母音

11.7. 動詞前辞(動作の方向などを示す接頭辞)

11.8. 肯定と否定

11.9. 疑問

11.10. 動詞複合体における接辞の連鎖

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[次章(12.)で取り扱うこと]


動詞の種別と構文


ラズ語の動詞には、静態動詞、移態動詞、動態動詞、存在動詞、使役動詞などさまざまな種別があり、それぞれが独自の構文を要請します。


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◘◘◘受動態」◘◘◘


ラズ語は、すべての相、すべての時制において能格構文と与格主語構文(→ 12., 13.)の発達した言語です。そのため英語、フランス語、ギリシャ語などにあるような「受動態」というものはありません。


しかしラズ語の分詞(→ 14.)や非人称表現(→ 11.5.)には、異言語に翻訳する際に受動態を用いるのが適切な場合が多々あります。



◘◘◘被害・迷惑表現」◘◘◘


日本語の「人に笑われる」「母親が子どもに泣かれる」「雨に降られる」などのような「被害・迷惑表現」の形式(いわゆる「受身」)もラズ語にはありません。直訳すると「人々が私を笑う」「子供が母親を標的として泣く」「雨が降るので困る」などに相当する言い方をします。

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11.1.


11.1.1. 直説法未完了相の標識

11.1.2. 未完了相と時制を示す標識


ラズ語の動詞の相は、形態としては二種類、未完了相完了相があります。


未完了相は、動詞の種別・法・時制によって

「継続相」

「反復相」

「一般的な真理」

「過去における未来」

・・・などを表わします。


完了相は、動詞の種別・法・時制によって

「過去において実現した一回限りの行為」

「目の前で実現した一回限りの行為」

「未来において実現するはずの一回限りの行為」

「実現した行為の結果生じた現在の状態」

・・・などを表わします。


ラズ語の相標識は、すべて多機能標識です。「法と相を表わすもの」と「相と時制を表わすもの」の二種類があります。


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11.1.1. 直説法未完了相の標識


ラズ語の動詞の大多数は単一語幹です。単一語幹動詞は直説法で語幹脚(*)(11.1.1.1.)が未完了相標識になるので、裸の語幹は完了相です(語幹脚は、直説法以外の法には現れません)


ただし、ごく少数ですが、単一語幹で、直説法未完了相でも語幹脚のつかない動詞(無脚動詞)があります(→ 11.1.1.2.)


なお、動詞の種別によっては未完了相しかないものもあります(→ 12.)


(*) 語幹脚 : 新造語です。ラズ語の単一語幹動詞の語幹に後接する直説法未完了相標識をこう名付けました。法標識と相標識を兼ねています。


多語幹動詞の大多数には、直説法の未完了相語幹が、完了相語幹とは異形態で、具わっています(→ 11.1.1.3.)

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11.1.1.1. 語幹脚(ラズ語の単一語幹動詞の語幹に後接する直説法未完了相標識)


語幹脚は、形態上五つのグループにまとめることができます。本稿での代表形は次の通りです。


[A] -am, -em, -im, -om, -um


[B] -er, -ur


[C] -omer (西) ~ -umer (中・東)


[D] -umer ()(HP) ~ -umar (ÇX)


[E] -um (西・中) ~ -umer (HP) ~ -ar (ÇX)


(A-1) 五種類のうち全方言にあるのは{-am}{-um}の二種類だけです。HopaÇxalaの方言では{-ap}{-up}がこれに対応し、後続の子音が放出音であれば{-ap’}, {-up’}という形態になります。


(A-2) {-em}は稀ですが、ArhaviPilarget村などの方言で「語幹形成接辞{-ap-}を含む使役動詞(→ 12.5.2.)」に規則的に現れます。他の方言では{-am} ~ {-ap} がこれに対応します。


(A-3) {-om}は中部方言に散見します。他の方言では普通{-um} ~ {-up} がこれに対応し、例外的にz*iroms (FN)(AH) (見える)z*irams (PZ), zirams (ÇM)(AŞ)(*), z*i(r)ops (HP)に対応しています。


(*) Çamlıhemşin-Ardeşen方言には一般に /z*/ /z/ の区別がありません。


(B) 二種類とも全方言にあります。中部・東部方言では音素 /r/ が母音の後で弱化ないし消滅する傾向が強く、{-e}, {-u}という形態を頻繁に観察します。


(C) 唯一の例 : u3’omers (西), u3’umers (中・東) (特定の他者に告げる)


(D) : çumers ()(HP), çumars (ÇX) (待つ)


(E) : dodums (西・中), dodumers (HP), dodvars (ÇX) (置く)

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語幹有脚語幹(直説法未完了相)対照例


[本章の「時制」の項(11.2.)以降で時制標識・人称標識・数標識の備わった形態を紹介します]


[A] -ç- / -çam- ~ -çap- (食べさせる、食事を振舞う)

-t’ax- / -t’axum- ~ -t’axup- (折る、割る)


[B] -mt’- / -mt’er- (逃げる)

-putx-/ -putxur- (飛び立つ、飛ぶ)


[C] -3’v-(*) / -3’omer- (西) ~ -3’umer- (中・東) (特定の他者に告げる)(***)


[D] -çv- (*) / -çumer- ()(HP) ~ çumar- (ÇX) (待つ)


[E] -dv- (*) / -dum- (西・中) ~ -dumer- (HP) ~ -dvar- (ÇX) (置く)


(*) 子音の後の /v/ /u/ の前で、全ての方言で、規則的に消滅します。


●●● (***)ラズ語では「行為によって利益・被害を受けるものが自分自身(または自分に属するもの)である」場合と「行為によって利益・被害を受けるものが特定の他者(または他者に属するもの) である」場合と「利益・被害を受ける特定の人物はいない」場合とで動詞の形態が変わります。


語根{-3’v-}は「特定の相手(= 他者)に告げる、言う」という意味です。


「相手を特定せずに公に物を言う」は別語で、直説法完了相語幹{-t’k’v-} ~ {-tkv-}, 代表形(直説法未完了相現在三人称単数形)it’urs (西) ~ zop’ons () ~ tkumers (HP) ~ tkumars (ÇX)です。なお西部方言の場合、可能法、非人称法、経験法の語幹は{-zit’-}です。

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11.1.1.2. 単一語幹の無脚動詞


-bir- (西 : 遊ぶ

-bir- (中・東) : 歌う

-gzal- (中・東) : 行く (1)

-mç’im- : (雨が)降る (2)

-ncir-  : 眠る(西

: 寝る、眠る(中・東)

-nçir- (西) ~ -mçvir- (中・東) : 泳ぐ (3)

-orom- () ~ -x’orop- () : 好きだ、愛している (4)

-ster- (中・東) : 遊ぶ

-xel- (中・東)  : 嬉しい、喜ぶ、幸せになる (5)


[本章の「時制」の項(11.2.)以降で時制標識・人称標識・数標識の備わった形態を紹介します]


(1) 西部方言では、同形の語根に「歩く; 行く」の二つの意味があり、多語幹動詞です。直説法完了相語幹{-gzal-}に対して未完了相語幹が二種あって、同語根異形態の{-gzar-}と完了相語幹に語幹脚のついた{-gzalam-}が同義で「揺れ」を示しています。


(2) Çxala方言では「雨が降る」は有脚動詞です。直説法完了相語幹が{-mç’v-}で、未完了相語幹は、語末および無声子音の前で{-mç’vip-}, 放出音の前で{-mç’vip’-}という形態になります。


(3) 中部・東部方言には{-nçvir-}という変異形もあります。


(4)「好きだ、愛している」という意味の動詞には完了相はありませんが、同根の他の動詞(*)と比較することによって語幹 {-x’orop-} が語幹脚を含んでいないことが分かります。中部方言では、音素 /x’/ が消滅する一方、「動詞語末に音素 /p/ が立ち得ない」という発音習慣のため他の動詞との類推により /p/ → /m/ という変化が起こった結果 {-orom-} という形態が成立したものと推定できます(→ 22. 音韻論)


(*) 同語根の「恋をする、恋に落ちる」という意味の移態動詞(→ 12.3., 13.3.)


西部方言の同義の動詞は、後述する「動態動詞の可能法と同じ型の形態の静態動詞」なので、可能法(→ 11.5.)の説明を終えた後、静態動詞の項(→ 12.2., 13.2.)で紹介します。


(5) この動詞語幹には、西部方言では必ず語幹脚がつきます。中部・東部方言では、無脚語幹と有脚語幹とが併存して「揺れ」ています。

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11.1.1.3. 多語幹動詞


[本章の「時制」の項(11.2.)以降で時制標識・人称標識・数標識の備わった形態を紹介します]

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11.1.1.3.1. 単一語根の多語幹動詞


「見る、眺める、凝視する」


直説法完了相語幹

-3’er- (PZ)(*) ~ -3’ed- (AŞ) ~ -3’k’ed- (中・東)


直説法未完了相語幹

-3’er- (西) ~ -3’k’er- (中・東)


可能法や経験法(→ 11.5.)などの語幹

-3’elim/3’olim- (PZ) ~ -3’omil- (AŞ) ~ -3’k’omil- (中・東)


(*) Pazar方言では、直説法の語幹は単一形態です。


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11.1.1.3.2. 多語根動詞


[二語根動詞の例] 「食べる」(*)


直説法完了相語幹

-şk’om-(西) ~ -ç’k’om- (中・東)


直説法未完了相語幹

-mxor-(西)(FN) ~ -mpxor- (FNの一部) ~ -pxor- (AH) ~ -mxor- (HP)


(*) Çxala方言では{-ç’k’om-}のみの単一語根・単一語幹です。



[三語根動詞の例] 「する、やる」


直説法完了相語幹

-ø- (= ゼロ)(***) ~ -v- () ~ -x’v- ()


直説法未完了相語幹

-kum- (西) ~ -kom- () ~ -kip- ()


他の(→ 11.5.)の語幹

-xin- ~ -xen- (西) ~ -xen- () ~ -xven- ()


(***) 語幹ゼロ(!!)の動詞が、他にもあります(→ 13.9.不規則動詞)


[本章の「時制」の項(11.2.)以降で時制標識・人称標識・数標識の備わった形態を紹介します]

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11.1.1.3.3. 多語幹であるが直説法の完了相語幹と未完了相語幹が同形の動詞


-bgar- ~ -mgar- (HP) : 泣く


ラズ語の「泣く」という意味の動詞は、可能法や非人称法の語幹が{ -bgarin-} ~ {-mgarin-} ですから(→ 11.5.2.1.1.C)「多語幹動詞」ですが、直説法の完了相と未完了相の語幹は同じ形態です。この点に関しては単一語幹の無脚動詞(→ 11.1.1.2.)と同じ事情です。

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11.1.2. 未完了相と時制を示す標識

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11.1.2.1. {-t’-}


回想・希望」標識 {-t’-} は未完了相標識を兼ねています。次の「時制」の項を見てください(→ 11.2.2.)

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11.1.2.2. {-n}


動態動詞の直説法で現在時制・三人称・単数標識になる{-n}は、未完了相にしか現れませんから、未完了相標識としても機能します。


この形態素{-n}は、

動態動詞の可能法(→ 11.5., 13.5.)と経験法(→ 11.5., 13.7.) および

多数の静態動詞(→ 12.2., 13.2.)

移態動詞(→ 12.3., 13.3.)

の現在時制ですべての人称の単数形に現れます。


特定の人称を示さない「汎人称」の接尾辞ですが、非人称法(→ 11.5. 13.6.)でも規則的に用いますから「超人称」と言うべきかもしれません。


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11.2. 時制 (時称)


11.2.1. 現在時制標識と過去時制標識

11.2.2. 「回想・希望」標識 = 非現在標識


ラズ語の基本的な時制は、現在時制と過去時制です。


●●● ラズ語の未来形は希求法から派生したもの(→ 11.5.)です。


また「大過去」「伝聞過去」などの複合時制は「動詞の活用」の章を見てください(→ 13.)

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11.2.1. 現在時制標識と過去時制標識

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11.2.1.1. 現在時制標識


ラズ語の現在時制標識は全て人称標識を兼ねており、一部はその上に数標識をも兼ねる多機能性のものです。


人称(→ 11.3.)と数(→ 11.4.)に関する説明はそれぞれの項で行いますので、ここでは前述の(11.1.)未完了相動詞語幹(または無脚語幹)につく現在時制標識のうち三人称単数形のみの紹介にとどめます。 動態動詞の直説法現在時制三人称単数の標識は、語幹脚が{-er}, {-ur}の場合には{-n} (***), それ以外の場合は{-s}です。


(***) ラズ語では語末に/rn/という子音連続は不可能なので、{-er- + -n}{-ur- + -n}は実際にはそれぞれ{-en}{-un}という形態になります。



ラズ語の未完了相現在形は

「一般的な真理、習慣」と

「今、実現している行為・状態」

の両方を表わします(*)


(*) 日本語のような「食べる」と「食べている」の形態上の区別はありません。

ただし、肯定冠接辞が「習慣的な行為」の標識になる場合があります

(→ 11.8.2.3., 11.8.2.4. )

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下の例で一部の動詞の語頭に太字で示した{i-}, {o-}, {u-}は「語幹頭母音(→ 11.6.)」です(太字になっていないoromsの語頭の母音は違います)。別種の語幹頭母音で置き換えると、動詞の法が変わったり、自動詞が他動詞になったりします(*)


(*)「泳ぐ」が「泳げる」、「喜ぶ」が「喜ばせる」になるような変化です。


çams ~ çaps  : (その人が)食べさせる、食事を振舞う、食事を振舞っている

t’axums ~ t’axups : (その人が)折る、割る、折っている、割っている(*)


imt’en (1) : (その人が)逃げる、逃げて行く

putxun (**) (1) : (その鳥が)飛ぶ、飛んでいる


u3’omers ~ u3’umers : (その)特定の他者に告げる、告げている


o3’k’en ~ o3’k’ers (中・東)(2): (その)見る、凝視する、見ている、凝視している


imxors ~ ipxors ~ imxors (3) : (その)食べる、食べている

ikums ~ ikoms ~ ikips : (その)する、やる、している、やっている


ibgars ~ imgars (HP) : (その人が)泣く、泣いている

ibirs (西) : (その人が)遊ぶ、遊んでいる

ibirs (中・東) : (その人が)歌う、歌っている

igzars (西) : (その人が)歩く、行く、出発する、歩いている、行くところだ

igzals (中・東)  : (その人が)行く、出発する、行くところだ、出発間際だ

mç’ims ~ mç’vips (ÇX)(4) : (雨が)降る、降っている

incirs (西) : (その人が)眠る、眠っている

incirs (中・東) : (その人が)寝る、寝ている、眠る、眠っている

inçirs ~ imçvirs (5) : (その)泳ぐ、泳いでいる

oroms () ~ x’orops () : (その人は)好きだ、愛している

isten ~ isters (中・東) (6) : (その)遊ぶ、遊んでいる

ixels (中・東) (7) : (その)嬉しがっている、喜んでいる


(*)「木の枝を折る」「卵を割る」「ガラスを割る」といった意味合いの語です。「折り紙を折る」「膝を折る」という意味にはなりません

(**) ÇamlıhemşinM3’anu村の方言ではcun, Ardeşen郡のJilen-Mzğem村の方言ではjun (飛んでいる)という静態動詞を用います。なお、Jilen-Mzğem村の方言には音素 /j/ /c/ の区別があります。


(1) [imt’er- + -n > imt’en], [putxur- + -n > putxun]


(2) Fındıklı方言では左側のo3’k’enという形が普通です。また、西部方言では、「動詞前辞(→ 11.7., 19.)」のついたno3’ers/no3’en (PZ) ~ no3’en (AŞ)という形態がこれに対応します。


(3) 西部方言と東部のHopa方言に同じ形態があります。Fındıklı方言にはimpxorsという変異形もあります。なお東端部の Çxala方言ではこの動詞は単一語幹で、未完了相現在三人称単数形は ç’k’omupsです。


(4)「雨が降る」は同族主語を伴ってmç’ima mç’ims ~ mç’ima mç’iy (ÇM)(AŞ) ~ mç’vima mç’vips (ÇX)と言います。なお、「(雪が) 降る」は別語です(→ 13.9.)


(5) 中部・東部方言形のimçvirsは、地域によってはimçfirsと発音するところがあります。ラズ語では他の子音の後に続く位置では[f]/v/ の異音です。対立する音素ではないので、本項ではこの位置では常にvと綴ることにしています。なお、inçvirsという形態もあります。


(6) Fındıklı方言では左側のistenという形が普通です。


(7) 語幹脚のついたixelamsという形態もあります。西部方言には有脚のixelamsのみがあります。

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[地域的な音韻変異]


(PZ) Pazar郡方言では、語末の子音連続 /-ms/, /-rs//-y/ で置き換えた発音をときに観察します。また/-s/の前で /r/ の消滅した(imxos, incisのような)形態を聞くことが頻繁です。


●●● (ÇM)(AŞ) Çamlıhemşin郡とArdeşen郡では、ほとんどの方言で動詞語末の子音連続 /-ms/, /-rs/疑問形でのみ発音します。平叙形では、/a/, /o/, /u/ の後では /y/ で、/e/, /i/ の後では /y/ または /ø [= ゼロ]/ で規則的に置き換わります。


疑問形の例

çams-i, t’axums-i, u3’omers-i, imxors-i, ikums-i, ibgars-i, ibirs-i, igzars-i, igzalams-i, mç’i(m)s-i, incirs-i, inçirs-i, ixelams-i


平叙形の例

çay ~ çams (*), t’axuy, u3’ome(y), imxoy, ikuy, ibgay, ibi(y), igzalay, igzay, mç’i(y), inci(y), inçi(y), ixelay


(*)「お茶」を意味するçayとの混同を避けるためかçamsと発音する人もいます。


疑問形に現れる{-i}は、疑問標識です(→ 11.9.)


●●● (AŞ) ArdeşenDutxe村の方言では、平叙形で、語末の/-ms/, /-rs/ の後に「語末添加母音-u」がついてçamsu, t’axumsu, imxorsu ......という形になります。このとき/-su/ の前の /m/ が脱落することが多く、直前の母音が長母音になってikumsuiku(u)su, mç’imsu mç’i(i)suになります。


「語末添加母音」は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません 。


(中・東) 中部・東部方言では、母音の後、語末の/-s/ の前で /r/ の消滅した(u3’umes, ibgasのような)発音が頻繁です。ただしArhavi郡の Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなどの村々の方言には「/r/ の弱化」現象はありません。


本項(11.2.1.)で紹介している動詞の活用形のアクセント法則は、すべて同じです。単音節語はその音節に、多音節語は語末から二番目の音節にアクセントがあります。


疑問標識{-i}は、語のアクセントの位置を変えません。標識自体にも独自のアクセントがあり、常に下降調のイントネーションを伴います。

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11.2.1.2. 過去時制標識


ラズ語では過去時制標識も全て人称標識を兼ねており、一部はその上に数標識をも兼ねる多機能性のものです。


人称(→ 11.3.)と数(→ 11.4.)に関する説明はそれぞれの項で行いますので、ここでは前述の(11.1.)完了相動詞語幹(または無脚語幹)につく過去時制標識のうち三人称単数形のみの紹介にとどめます。


過去時制三人称単数の標識は、完了相でも未完了相でも例外なく{-u}です(***)


(***) 形態素{-u}は、「可能法」(→ 11.5., 13.)と「経験法」(→ 11.5., 13.7.)の過去形ではすべての人称に現れる「汎人称」の時制標識です。多数の「移態動詞(→ 12.3., 13.3.)」と「静態動詞(→ 12.2., 13.2.)」の過去形でもすべての人称に現れるほか、動態動詞の「非人称法」の過去時制標識にもなります。「超人称」と言うべきかもしれません。



ラズ語の完了相基本形(完了相語幹に過去時制標識のみが後接したもの)

「今、目の前で実現した行為」

「過去において一回限り実現した行為」

「危うく実現するところだった行為」

などを表現します。

「移態動詞」の完了相については後述します(→ 12.3., 13.3.)

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çu : (その人が)食べさせた、食事を振舞った

t’axu : (その人が)折った、割った


imt’u : (その人が)逃げた

putxu : (その鳥が)飛んだ


u3’u : (その人が)特定の他者に告げた、言った


o3’k’edu (中・東)(1) : (その人が)見た、凝視した


şk’omu (西) ~ ç’k’omu (中・東) (2) : (その人が)食べた

u (西) ~ vu () ~ x’u () (3) : (その人が)した、やった


ibgaru ~ imgaru (HP) : (その人が)泣いた

ibiru (西) : (その人が)遊んだ

ibiru (中・東) : (その人が)歌った

igzalu (西) : (その人が)歩いた; 行った、出発した

igzalu (中・東) : (その人が)行った、出発した

mç’imu (西・中・HP) ~ mç’u (ÇX) : (雨が)降った

inciru (西) : (その人が)眠った

inciru (中・東) : (その人が)寝た、眠った

inçiru ~ imçviru ~ inçviru : (その人が)泳いだ

isteru (中・東) : (その人が)遊んだ

ixelu : (その人が)嬉しがった、喜んだ


(1) 西部方言では動詞前辞(→ 11.7., 19.)のついたno3’eru (PZ) ~ no3’edu (AŞ)という形態です。


(2) 肯定冠接辞(→ 11.8.)のついたoşk’omu ~ oç’k’omuという形態は後述します(***)


(3) 東部方言での語幹は {-x’v-} ですが、ラズ語では子音の後の /v/ /u/ の前で規則的に消滅します。


(4) 肯定冠接辞(→ 11.8.)がつくとdomç’imu ~ domç’u (ÇX) という形態になります(***)


■(***) 肯定冠接辞がつくとアクセント法則が変わります。後述します(→ 11.8.)

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11.2.2. 回想・希望」標識 = 「非現在」標識 {-t’-}


ラズ語には、未完了相標識と「回想・希望」標識を兼ねる形態素{-t’-}が全方言にあります。必ず「(人称標識を兼ねる)過去時制標識」か「希求法標識」が後接します。


{-t’-} + 過去時制標識 = 未完了相過去時制

{-t’-} + 希求法標識 = 未完了相希求法


希求法(→ 11.5.)は後述しますが、存在動詞や大多数の静態動詞の未来形は未完了相希求法から、動態動詞や一部の静態動詞の未来形は完了相希求法から派生します。


ラズ語の未完了相過去形は、主に

「過去において継続していた行為・状態」または

「過去において何度か反復した行為」

を表わします。


加えてArhavi郡の方言では

「過去において実現するはずだった行為・状態(過去における未来)

をも表わします。


(Fındıklı郡以西の方言と東部方言には「過去における未来」を表わす独自の形式があります。11.5.1.2.3., 13.4.)

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以下に三人称単数形のみを紹介します。


çamt’u ~ çap’t’u : (その人が)食事を振舞っていた、食べさせていた

t’axumt’u ~ t’axup’t’u : (その人が)折っていた、割っていた


imt’ert’u : (その人が)逃げようとしていた

putxurt’u (1) : (その鳥が)飛んでいた


u3’omert’u ~ u3’umert’u : (その)特定の他者に告げていた、言っていた


o3’k’ert’u (中・東)(2) : (その)見ていた、凝視していた


imxort’u ~ ipxort’u : (その)食べていた

ikumt’u ~ ikomt’u ~ ikip’t’u (3) : (その)していた、やっていた


ibgart’u ~ imgart’u : (その)泣いていた

ibirt’u (西) : (その)遊んでいた

ibirt’u (中・東) : (その人が)歌っていた

igzalt’u (中・東) : (その)出発するところだった

igzart’u (西) : (その人が)歩いていた; 出発するところだった

mç’imt’u ~ mç’vip’t’u (3) : ()降っていた

incirt’u (西) : (その)眠っていた

incirt’u (中・東) : (その人が)寝ていた; 眠っていた

inçirt’u ~ imçvirt’u ~ inçvirt’u : (その人が)泳いでいた

oromt’u ~ x’orop’t’u (3) : (その人は)好きだった、愛していた

istert’u : (その人が)遊んでいた

ixelt’u : (その人が)嬉しがっていた、喜んでいた


(1) ÇamlıhemşinM3’anu村の方言の静態動詞cun(飛んでいる)の過去形はcurt’u (飛んでいた), ArdeşenJilen-Mzğem村の方言のjunの過去形はjurt’uです。完了相はありません。


(2) 西部方言では動詞前辞のついたno3’ert’uという形態です。


(3) 閉鎖音 /p/, /t/, /3/, /ç/, /k/ は放出音の前で、東部方言に限らず全方言で、必ず放出音/p’/, /t’/, /3’/, /ç’/, /k’/ になります。


「回想・希望」標識{-t’-}を含む音節{-t’u}は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。この項で紹介している形態では、二音節語は語末から二番目の音節に、三音節以上の語は語末から三番目の音節にアクセントがあります。

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11.3. 人称


11.3.1. 人称を示す単一機能標識

11.3.2. 人称を示す多機能標識


ラズ語の動詞は「無人称活用」「単人称活用」または「複人称活用」をします。


無人称活用 : 人称標識がない

単人称活用  : 人称標識が一つある

複人称活用 : 人称標識が二つある



どの活用をするかは動詞の種別(→ 12.)と法(→ 11.5.)によって決まっています。たとえば「動態動詞・他動詞・直説法」であれば複人称活用であり、「非人称法」はどんな種別の動詞でも無人称活用です。


特定の人称標識が主語標識補語標識、受益者標識のいずれであるかは、動詞の種別・法によって決まっています(→ 12., 13.)

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11.3.1. 人称を示す単一機能標識

 

人称のみを示す標識が二グループあります。


11.3.1.1. 前接人称標識 : {b-}{ø-}{ø-}

11.3.1.2. 前接人称標識 II : {m-}{g-}{ø-}

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11.3.1.1. 前接人称標識 : {b-}{ø-}{ø-}


代表形 b- (***) : 一人称標識

ø- [ゼロ]  : 二人称標識

ø- [ゼロ]  : 三人称標識


人称標識{b-}{ø-}{ø-}は、語幹頭母音(→ 11.6.)の前につきます。ほとんどの場合に主語の人称を示しますが、移態動詞(→ 12.3.)の一部で補語の人称を示します。


●●● (***) 一人称標識の代表形は{b-}ですが、後続の音素の種類によって、また地域によって、さまざまな形態をとります。

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11.3.1.1.1. {b-}の変異形 : 子音の前で


有声子音 d, z*, c, g ; v, z, j, ğ ; l, r, y の前で : b- 

無声子音 t, 3, ç, k ; f, s, ş, x (*) の前で : p-

放出音 t’, 3’, ç’, k’; x’ の前で : p’-

両唇音 b, p, p’, m の前で : ø- (1)


動詞語幹が /n + 子音/ で始まる場合 : (m-)  (2)

動詞語幹が /n + 母音/ で始まる場合 : b- (3)

動詞語幹が /xt’/(西) ~ /xt/(中・東) で始まる場合 : (f-) ~ (p-)  (4)


b- の例 (ğurun) bğurur 私が死ぬ

(zop’ons) bzop’on 私が言う(); 私が物語る()


p- の例 (çams ~ çaps) pçam ~ pçap 私が食事を振舞う

(şums ~ şupspşum ~ pşup 私が飲む、飲んでいる


p’- の例 (ç’arums ~ ç’arups) p’ç’ari 私が書いた(中・東)

(x’orops) p’x’orop 私は好きだ、愛している()



(1) 両唇子音の前では、人称標識{b-}は「ø[ゼロ]として現れる」(= 現れない)のが普通ですが、Pazar郡方言ではしばしば語幹(下の例では{-putx-})の中に割り込んだ「挿入辞」として実現します(→ 13.9. 不規則動詞)


例 : (putxun) {b-} + putxur > puptxur (PZ) 私が飛ぶ、飛んでいる


他の諸方言ではputxurという形態です。

(2) {b-}/n + 子音/ の前につくとき、{b-} + n > mという音韻変化が起こります。


(ncaxums ~ ncaxups) {b-} + ncaxum > mcaxum 私が(鉄を)打つ、鍛える

(nç’arums) (西) {b-} + nç’arum > mç’arum 私が書く



(3) 人称標識{b-}/n + 母音/ の前に立つ例は僅少です。

[次の例の第一の語の冒頭の{go-}と第三の語の冒頭の{ok’o-}は動詞前辞(→11.7., 19.)です]


gobnorum 私がすすぐ

ok’obnağuri (中・東)(*) 私が気絶した


(*) cf (AŞ-Ok’ordule) ok’obrağuni 私が気絶した



(4) {b-}/xt/ または /xt’/ の前につくとき、{b-} + x > f ~ pという音韻変化が起こります。

[次の例の語の冒頭の{mo-}は動詞前辞(→ 11.7., 19.)です]


moft’i < mo- + {b-} + xt’i (西) 私がやって来た

mofti < mo- + {b-} + xti (FNの一部)

mopti < mo- + {b-} + xti (FNの一部)(AH)()


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11.3.1.1.2. {b-}の変異形 : 母音の前で


原則b- ~ v- : Pazar, Çamlıhemşin, Ardeşen西部方言で v-

Ardeşen東部, Fındıklı, Arhavi方言で b-

Hopa, Çxala方言で v-


: (imt’en) vimt’er ~ bimt’er ~ vimt’er 私が逃げる

(ibgars ~ imgars) vibgar ~ bibgar ~ vimgar 私が泣く、泣いている


例外p’-  (*) :  歴史的な音韻変化の結果、後続の音素/x’/または子音連続/x’v/が消滅した場合


(*) 現代ラズ語諸方言を比較研究することによって、ある程度、文献時代以前のラズ語の音韻変化の跡を辿ることができます。東部方言で語幹が/x’/で始まる規則的な動詞が、この音素を欠く西部・中部方言では不規則動詞になっていたり別の語彙で置き換わっていたりすることから、この音素がかつてはラズ語の全方言に存在していたことが推定できます。Arhavi方言とHopa方言から未完了相現在時制一人称単数形の例をいくつか挙げます。


[Arhavi] [Hopa]

p’azum p’x’azup (私が切る、刻む、鉋[かんな]をかける)

p’orom p’x’orop (私は好きだ、愛している

p’ilom p’x’vilup (私が傷つける、傷つけて殺す)

p’uram (1) p’x’urap (2) (私が叫ぶ)


(1) urams : (AH) (女が)叫ぶ cf. mğorams : (男が)叫ぶ

(2) x’uraps : (HP)(男女の別なく、人が)叫ぶ


●●● 東部方言にも「子音連続 /x’v / の消滅の結果 /p’ + 母音/ という形態になった」と推定できる語形がいくつかあります(→ 13.9. 不規則動詞)

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11.3.1.2. 前接人称標識 II : {m-}{g-}{ø-}


代表形 m- : 一人称標識

g- : 二人称標識

ø- [ゼロ]  : 三人称標識


前接人称標識 II {m-}{g-}{ø-}、前項紹介した前接人称標識 I {b-}{ø-}{ø-}位置つまり動詞語幹の前(語幹頭母音がある場合はその更に前)につきます。


前接人称標識 II {m-}{g-}{ø-}は、動詞の種別と法によって、主語または受益者または主要な補語の人称を表わします。


主語の人称を表わす場合 「与格主語静態動詞」

「移態動詞」

「可能法の動態動詞」

「経験法の動態動詞」

・・・など


補語の人称を表わす場合 「直説法の動態動詞のうち他動詞」

・・・など


[ここでは補語の人称を表わす場合の例をいくつか紹介するにとどめます。詳細は「動詞の種別(→ 12.)」と「動詞の活用(→ 13.)」の章を見てください]

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11.3.1.2.1. 前接人称標識 II {m-}{g-}の形態


一人称標識{m-}の実現形は{m-}{mp’-}{ø-}の三種類あります。


ø- : 両唇閉鎖鼻音 /m/ の前で

mp’- : 歴史的な音韻変化の結果、後続の音素 /x’/ または子音連続 /x’v/ が消滅した場合(*)

m-  : 上記以外のすべての場合


二人称標識{g-}の実現形は、{g-}{k-}{k’-}{ø-}の四種類あります。


ø- : 軟口蓋閉鎖音 /g/, /k/, /k’/ の前で (**)

k’-  : /k’/ 以外の放出音の前で ;

: 歴史的な音韻変化の結果、後続の音素 /x’/ または子音連続 /x’v/ が消滅した場合(*)

k-  : /k/ 以外の非放出・無声子音の前で


g- : 上記以外のすべての場合


(*) : (西・中) ilums ~ iloms (人を傷つける、殺す)とこれから派生した動詞の語幹の前で;

  () oroms (好きだ、愛している)の語幹の前で


(**) 軟口蓋閉鎖音の前では、人称標識{g-}は「ø[ゼロ]として現れる」(= 現れない)のが普通ですが、Pazar郡方言では多くの動詞で挿入辞として実現します(→ , 13.9. 不規則動詞)


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11.3.1.2.2. 前接人称標識 II {m-}{g-}{ø-}の用例


[A] çams ~ çaps (食べさせる、食事を振舞う):


(西部・中部方言) (東部方言)

mçams mçaps : (その人が)私に食事を振舞う

kçams kçaps : (その人が)あなたに食事を振舞う

çams çaps : (その人が)(ある人に)食事を振舞う


kçam kçap : 私があなたに食事を振舞う

pçam pçap : 私が(ある人に)食事を振舞う


[B] oroms (), x’orops () (好きだ、愛している)


(中部方言) (東部方言)

mp’oroms (*) mx’orops : (その人が)私を愛している

k’oroms (**) k’x’orops : (その人が)あなたを愛している

oroms x’orops : (その人が)(ある人を)愛している


(*) HopaおよびÇxala方言の形態 mx’orops と比較すると、{音素 /x’/ が消滅する際にその「放出音性」だけが残り、/m/と同じ調音位置の放出音 /p’/となって実現した}と推定することができます。


(**) /x’/ が消滅したために母音の前に /k’/ が残ったものと推定できます。

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11.3.2. 人称を示す多機能標識


人称標識と他の標識を兼ねる形態素が三グループあります。


11.3.2.1. 後接人称標識 I = 現在時制標識

11.3.2.2. 後接人称標識 II = 過去時制標識

11.3.2.3. 前接人称標識 III = 語幹頭母音{i-/u-}

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11.3.2.1. 後接人称標識 I = 現在時制標識(→ 11.2.)


後接人称標識は現在時制と過去時制とで異なっていますので、時制標識を兼ねます。


現在時制の各人称の標識は次の通りです(数標識に関する説明は11.4.)



単数

複数

一人称

-ø

-ø (+ -t)

二人称

-ø

-ø (+ -t)

三人称

-s, -n

-an (*)


(*) ラズ語域の広い範囲で、/r/ で終止する語幹および語幹脚(-er, -ur, -umer)の後で{-nan} (**)という形態をとり、このときにほとんどの方言で /r/ が脱落します。


(**) Çxala方言では{-lan}

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11.3.2.1.1. 前接人称標識I (→ 11.3.1.1.) + 後接人称標識 I = 現在時制 I



単数 

複数

一人称

b- ... -ø

b- ... -ø + (-t)

二人称

ø- ... -ø

ø- ... -ø + (-t)

三人称

ø- ... -s, -n

ø- ... -an (*)


(*) および{-nan}~ {-lan}



[A] t’axums ~ t’axups (折る、割る)の直説法未完了相現在形


(西部・中部方言) 単数  複数

一人称 p’t’axum p’t’axumt (1)(2)

二人称 t’axum t’axumt (1)(2)

三人称 t’axums (3)(4) t’axuman


(東部方言) 単数 複数

一人称 p’t’axup p’t’axupt

二人称 t’axup t’axupt

三人称 t’axups t’axupan


三人称複数形の標識{-an}は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。アクセントは、三人称複数形では語末から三番目の音節に、それ以外の形態では語末から二番目の音節にあります。


(1) Çamlıhemşin郡とArdeşen郡の方言では、語末で子音連続 /-mt/ が不可能なため、一般に(Dutxe村に限らず)「語末添加母音-u」がついてp’t’axumtu, t’axumtuと発音します。しかし疑問形はp’t’axumt-i, t’axumt-iです。


「語末添加母音-u」は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。


(2) ÇamlıhemşinM3’anu村の方言では「語末添加母音-e」がついてp’t’axumte, t’axumteと発音します。ただし疑問形は、やはりp’t’axumt-i, t’axumt-iです。


「語末添加母音-e」も無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。


(3) Çamlıhemşin郡と Ardeşen郡の大多数の方言では、語末の子音連続 /-ms/ /-y/ で置き換わり、t’axuyとなります。ただし疑問形はt’axums-iです。


(4) ArdeşenDutxe村の方言では、前述のように(11.2.1.1.), t’axumsu ~ t’axusuとなります。



[B] çams ~ çaps (食事を振舞う、食べさせる)の直説法未完了相現在形


単数 複数

一人称 pçam ~ pçap pçamt ~ pçapt

二人称 çam ~ çap çamt ~ çapt

三人称 çams ~ çaps çaman ~ çapan


[地域的な音韻変異は、t’axums ~ t’axupsの場合と同じです]



[C] imt’en (逃げる)の直説法未完了相現在形


単数  複数

一人称 vimt’er ~ bimt’er (1) vimt’ert ~ bimt’ert (1)(2)(3)

二人称 imt’er (1) imt’ert (1)(2)(3)

三人称 imt’en imt’eran ~ imt’enan (4)


(1)rの弱化」の著しい方言では、単数形がbimt’e ~ vimt’e, imt’eとなることがあります。複数形はbimt’et ~ vimt’et, imt’etという発音が普通です。


(2) ÇamlıhemşinM3’anu村で「語末添加母音-e」がついてvimt’erte, imt’erte.


(3) Çamlıhemşin郡のほかの村とArdeşen郡西部で一般に「語末添加母音-u」がついてvimt’ertu, imt’ertu. Ardeşen郡東部でbimt’ertu, imt’ertu.


(4) どちらか一つを代表形とすることができないので、本稿では二つの形態を併記しています(imt’ernanという形態も、たまさかに耳にします)。諸方言のすべての種別・法・相の動詞の活用を比べるとimt’eranが未完了相現在時制の本来の形態のようです。ところがimt’eran という形態が観察できるのは、Pazar郡のほかには Çamlıhemşin郡で海抜高度の一番高いM3’anu村、Ardeşen郡でも海抜高度最高部の Jilen-Mzğem村などだけで, それ以外のほとんどの地域でimt’enanと発音します。話者人口はimt’enanが圧倒的に多いのです。


なお、BorçkaÇxala村の方言ではimt’elanと言います。



[D] ulun (行く)の直説法未完了相現在形


単数 複数

一人称 vulur ~ bulur vulurt ~ bulurt

二人称 ulur ulurt

三人称 ulun uluran ~ ulunan (*)(1)(2)


[rの弱化」と「語末添加母音」の事情は他の動詞と同じです。以下では省略します]


(*) どちらを代表形とするか決めがたいので二つの形態を併記します(ulurnanという形態も、たまさかに耳にします)


(1) Hopa Azlağa村の方言ではulvanです。uluran/-r-/ が脱落した後*uluan > *ulwan > ulvanと変化したものと考えることができます。この動詞から派生したすべての動詞で同じ形態が現れます。Ulvanという変異形は、Çamlıhemşin 郡とArdeşen郡の方言にも頻繁に現れます。


(2) Çxala方言では、この動詞の未完了相現在三人称複数形は(*ululanではなく) ulanです。この動詞から派生したすべての動詞で同じ形態が現れます。



[E] u3’omers ~ u3’umers (特定の他者に言う、告げる)の直説法未完了相現在形


(西部方言形)

単数 複数

一人称 vu3’omer ~ bu3’omer vu3’omert ~ bu3’omert

二人称 u3’omer u3’omert

三人称 u3’omers (1) u3’omeran ~ u3’omenan (2)


(中部・東部方言形)

単数 複数

一人称 bu3’umer ~ vu3’umer bu3’umert ~ vu3’umert

二人称 u3’umer u3’umert

三人称 u3’umers u3’umenan ~ u3’umelan (3)


(1) (ÇM)(AŞ) u3’omey; 疑問形は u3’omers-i ?


(2) たまさかにu3’omernan


(3) (ÇX) u3’umelan


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11.3.2.1.2. 前接人称標識(I + II) + 後接人称標識 I = 現在時制 I 複人称活用


ラズ語には、複人称活用をする動詞が多種類あります。ここでは動態動詞のうちから他動詞çams ~ çapsの活用を紹介します。


çams ~ çaps (食事を振舞う、食べさせる)の直説法未完了相現在形


(西部・中部方言形)

食事を振舞う」

私に

あなたに

あの人に

私が

(なし)

kçam

pçam

あなたが

mçam

(なし)

çam

この人が

mçams

kçams

çams

私たちが

(なし)

kçamt

pçamt

あなた方が

mçamt

(なし)

çamt

この人たちが

mçaman

kçaman

çaman


(東部方言形)

「食事を振舞う」

私に

あなたに

あの人に

私が

(なし)

kçap

pçap

あなたが

mçap

(なし)

çap

この人が

mçaps

kçaps

çaps

私たちが

(なし)

kçapt

pçapt

あなた方が

mçapt

(なし)

çapt

この人たちが

mçapan

kçapan

çapan


この二つの表は、与格補語が単数の場合のみです。次の「数」の項でこの動詞の与格補語が複数の場合を記述します(→ 11.4.2.)


●●● ラズ語では、語頭の/m/, /n/ は、無声子音が後続する場合は無声音です。カタカナ表記を試みるとmçams「ムチャムス」よりも「フチャムス」に近く、語頭の「フ」は、唇を閉じて鼻からフムと息を抜く音です。

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11.3.2.1.3. 前接人称標識 II + 後接「汎人称」時制標識 I = 現在時制 II



単数

複数

一人称

m- ... -n

m- ... -an

二人称

g- ... -n

g- ... -an

三人称

ø- ... -n

ø- ... -an


可能法(→ 11.5., 13.)の動態動詞

経験法(→ 11.5., 13.)の動態動詞

静態動詞(→ 12.2., 13.2.)の多くのものと

移態動詞(→ 12.3., 13.3.)

がこの型の活用をします。

それぞれの項と章を見てください。

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11.3.2.2. 後接人称標識 II = 過去時制標識(→ 11.2.)


過去時制の各人称の標識は次の通りです(数と数標識に関する説明は11.4.)



単数

複数

一人称

-i

-it (1)

二人称

-i

-it (1)

三人称

-u

-es (2)(3)


(1) (ÇM)(AŞ) 語末添加母音がついて-itu ~ -ite となることがあります。


(2) (ÇM)(AŞ) 平叙形-ey ~ -e, 疑問接尾辞の前では-es;


Dutxe村の方言では、語末添加母音がついて -esu


(3) (FN) 平叙形は語末と有声子音の前で-ez, 無声子音の前と疑問接尾辞の前で-es. ただし村によって発音習慣に違いがあるようです。更なる調査が必要です。

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11.3.2.2.1. 前接人称標識I + 後接人称標識 II = 過去時制 I



単数 

複数

一人称

b- ... -i

b- ... -it

二人称

ø- ... -i

ø- ... -it

三人称

ø- ... -u

ø- ... -es


●●● 後接人称標識IIの音韻変異については前項(11.3.2.2.)を見てください。



[A] t’axums (折る、割る)の直説法完了相基本形 :「折った、割った」


単数  複数

一人称 p’t’axi p’t’axit

二人称 t’axi t’axit

三人称 t’axu t’axes



[B] çams ~ çaps (食事を振舞う、食べさせる)の直説法完了相基本形 「食事を振舞った」


単数 複数

一人称 pçi pçit

二人称 çi çit

三人称 çu çes



[C] imt’en (げる)直説法完了相基本形 :「逃げた


単数  複数

一人称 vimt’i ~ bimt’i vimt’it ~ bimt’it

二人称 imt’i imt’it

三人称 imt’u imt’es



[D] ulun (行く) (*)の直説法完了相基本形 :「行った」


単数 複数

一人称 vidi ~ bidi vidit ~ bidit

二人称 idi idit

三人称 idu ides


(*) これは多語根動詞(→ 13.9.)で、直説法の未完了相語幹と完了相語幹が異形態です。



[E] u3’omers ~ u3’umers の直説法完了相基本形 :特定の他者に言った、告げた」


単数 複数

一人称 vu3’vi ~ bu3’vi vu3’vit ~ bu3’vit

二人称 u3’vi u3’vit

三人称 u3’u (*) u3’ves


(*) 語幹は{-3’v-}です。子音の後の/v/は、全方言で、/u/ の前で規則的に消滅します。

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11.3.2.2.2. 前接人称標識(I + II) + 後接人称標識 II = 過去時制 I 複人称活用


çams ~ çaps (食事を振舞う、食べさせる)の直説法完了相基本形


「食事を振舞った」

私に

あなたに

あの人に

私が

(なし)

kçi

pçi

あなたが

mçi

(なし)

çi

この人が

mçu

kçu

çu

私たちが

(なし)

kçit

pçit

あなた方が

mçit

(なし)

çit

この人たちが

mçes

kçes

çes


この表は、与格補語が単数の場合のみです。


●●● すでに述べたことですが、ラズ語では、語頭の/m/, /n/ は、無声子音が後続する場合は無声音です。カタカナ表記を試みるとmçu「ムチュー」よりも「フチュー」に近く、語頭の「フ」は、唇を閉じて鼻からフムと息を抜く音です。


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11.3.2.2.3. 前接人称標識 II (→ 11.3.1.2. ) + 後接「汎人称」時制標識 II = 過去時制 II



単数

複数

一人称

m- ... -u

m- ... -es

二人称

g- ... -u

g- ... -es

三人称

ø- ... -u

ø- ... -es


可能法(→ 11.5., 13.)の動態動詞

経験法(→ 11.5., 13.)の動態動詞

静態動詞(→ 12.2., 13.2.)の多くのものと

移態動詞(→ 12.3., 13.3.)

がこの型の活用をします。

それぞれの項と章を見てください。

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11.3.2.3. 前接人称標識 III = 語幹頭母音{i-/u-}


語幹頭母音(→ 11.6.)のうち{i-/u-}だけは、人称によって形態が異なるので、人称標識を兼ねています。


一人称 i-

二人称 i-

三人称 u-


語幹頭母音の機能は動詞の種別と法によって決まっています。ここでは動態動詞のうちから他動詞u3’omers ~ u3’umers (特定の他者に告げる、言う)の例を紹介します。


この動詞の場合、語幹頭母音{i-/u-}は、行為が「特定の他者のため」のものであることを示しています。


前接人称標識II{m-}{g-}{ø-}と組み合わせて用いるので一人称と二人称の区別もはっきりします。


[下の表は、間接目的語が単数の場合です。次項(11.4. )で複数の場合を記述します]


u3’omers ~ u3’umers の直説法未完了相現在:「特定の他者に告げる、言う」


(西部方言形)


主語の人称と数

受益者(= 与格補語)の人称と数

1.単数 私に

2.単数 あなたに

3.単数 あの人に

1.単数 私が

(なし)

gi3’omer

vu3’omer ~ bu3’omer

2.単数 あなたが

mi3’omer

(なし)

u3’omer

3.単数 この人が

mi3’omers

gi3’omers

u3’omers

1.複数 私たちが

(なし)

gi3’omert

vu3’omert ~ bu3’omert

2.複数 あなた方が

mi3’omert

(なし)

u3’omert

3.複数 この人たちが

mi3’omeran

~ mi3’omenan

gi3’omeran

~ gi3’omenan

u3’omeran

~ u3’omenan


(中部・東部方言形)


主語の人称と数

受益者(= 与格補語)の人称と数

1.単数 私に

2.単数 あなたに

3.単数 あの人に

1.単数 私が

(なし)

gi3’umer

bu3’umer ~ vu3’umer

2.単数 あなたが

mi3’umer

(なし)

u3’umer

3.単数 この人が

mi3’umers

gi3’umers

u3’umers

1.複数 私たちが

(なし)

gi3’umert

bu3’umert ~ vu3’umert

2.複数 あなた方が

mi3’umert

(なし)

u3’umert

3.複数 この人たちが

mi3’umenan

~ mi3’umelan

gi3’umenan

~ gi3’umelan

u3’umenan

~ u3’umelan



u3’omers ~ u3’umers の直説法完了相基本形 :「特定の他者に告げた、言った」


(全方言)

主語の人称と数

受益者(= 与格補語)の人称と数

1.単数 私に

2.単数 あなたに

3.単数 あの人に

1.単数 私が

(なし)

gi3’vi

vu3’vi ~ bu3’vi

2.単数 あなたが

mi3’vi

(なし)

u3’vi

3.単数 この人が

mi3’u

gi3’u

u3’u

1.複数 私たちが

(なし)

gi3’vit

vu3’vit ~ bu3’vit

2.複数 あなた方が

mi3’vit

(なし)

u3’vit

3.複数 この人たちが

mi3’ves

gi3’ves

u3’ves


______________________________________________________________________


11.4.


11.4.1. 数標識にもなる多機能接尾辞


11.4.1.1. {-ø}, {-t}

11.4.1.2. {-s

11.4.1.3. {-n}, {-an}

11.4.1.4. {-u}, {-es}


11.4.2. 受益者または主要な補語の数標識

____________________________________________________________________________


11.4.1. 数標識にもなる多機能接尾辞

______________________________________________________________________


11.4.1.1. {-ø}, {-t}


前項(11.3. 人称)で記述したように、現在時制でも過去時制でも、一人称と二人称の複数形は{-t}で終止します。言い換えると{-t}は「非三人称」標識と複数標識を兼ねていますが、時制標識ではありません。


数標識としての{-ø}は、他の多機能標識({-t}{-s}{-n}{-an}{-u}{-es})がすべて欠如している状態を表わしますが、単数・非三人称標識です。


● {-t}は、複人称活用をする動詞の受益者または主要な補語が複数・非三人称であるときにも現れます(→ 11.4.2.)

____________________________________________________________________________


11.4.1.2. {-s}


形態素{-s}は、現在時制・三人称・単数の標識です。時制標識、人称標識、数標識と三重機能の接尾辞です。


完了相希求法(→ 11.5., 13.4., 13.5., 13.6., 13.7.)でも用います。


後述しますが、可能希求法 (→ 11.5.2.)などで「汎人称」「超人称」の用法があります。

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11.4.1.3. {-n}, {-an}


現在時制三人称標識の{-n}(単数){-an}(複数)は、いずれも時制標識 ・人称標識・数標識を兼ねています。


両者とも、可能法(→ 11.5., 13.5.)、経験法(→ 11.5., 13.7.)、多数の静態動詞(→ 12.2., 13.2.)、移態動詞(→ 12.3., 13.3.)で「汎人称」の、非人称法(→ 11.5. 13.6.)では「無人称」あるいは「超人称」の形態素です。


{-n}は、未完了相にしか現れませんから、未完了相標識としても機能する多機能接尾辞です。


{-an}は、完了相希求法(→ 11.5., 13.4.)でも三人称複数標識として用いますから、{-n}と違って相標識を兼ねません。

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11.4.1.4. {-u}, {-es}


過去時制三人称標識の{-u}(単数){-es}(複数)は、いずれも時制標識 ・人称標識・数標識を兼ねています。


両者とも、可能法(→ 11.5., 13.5.)、経験法(→ 11.5., 13.7.)、多数の静態動詞(→ 12.2., 13.2.)、移態動詞(→ 12.3., 13.3.)で「汎人称」の、非人称法(→ 11.5. 13.6.)では「無人称」ないし「超人称」の形態素です。


両者とも、未完了相・完了相の両方で用います。

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11.4.2. 受益者または主要な補語の数標識 


複人称活用をする動詞には、受益者が「複数・非三人称」であれば、主語が単数であっても複数標識{-t}がつきます。


çams ~ çaps (食事を振舞う、食べさせる)の直説法未完了相現在形 「食事を振舞う」


(西部・中部方言形)


主語

受益者の人称と数

私に

私たちに

あなたに

あなた方に

あの人に・あの人たちに

1.単数

(なし)

kçam

kçamt

 pçam

2.単数

mçam

mçamt

(なし)

 çam

3.単数

mçams

mçaman

kçams

kçaman

 çams

1.複数

(なし)

kçamt

 pçamt

2.複数

mçamt

(なし)

 çamt

3.複数

mçaman

kçaman

 çaman


(東部方言形)


主語

受益者の人称と数

私に

私たちに

あなたに

あなた方に

あの人に・あの人たちに

1.単数

(なし)

kçap

kçapt

 pçap

2.単数

mçap

mçapt

(なし)

 çap

3.単数

mçaps

mçapan

kçaps

kçapan

 çaps

1.複数

(なし)

kçapt

 pçapt

2.複数

mçapt

(なし)

 çapt

3.複数

mçapan

kçapan

 çapan


●●● ラズ語では、語頭の/m/, /n/ は、無声子音の前では無声音です。


u3’omers ~ u3’umers の直説法完了相基本形「特定の他者に告げた、言った」


(全方言)


主語

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数 

2.複数

3.単数・複数

1.単数 

(なし)

gi3’vi

gi3’vit

vu3’vi ~ bu3’vi

2.単数 

mi3’vi

mi3’vit

(なし)

u3’vi

3.単数 

mi3’u

mi3’ves

gi3’u

gi3’ves

u3’u

1.複数 

(なし)

gi3’vit

vu3’vit ~ bu3’vit

2.複数 

mi3’vit

(なし)

u3’vit

3.複数 

mi3’ves

gi3’ves

u3’ves


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11.5. (+ 未来形)



11.5.1. 直説法 (+ 希求法、願望法、命令法、禁止法、禁止希求法)

11.5.2. 可能法 (+ 可能希求法、可能願望法)

11.5.3. 非人称法 (+ 非人称希求法、非人称願望法)

11.5.4. 経験法 (+ 経験希求法、経験願望法)(*)


(*) 理論的に構築可能な「経験希求法」の実例は、自然な会話では見つかっていません。


ラズ語の動詞の「法」には、形態上「基本的な法」と「派生した法」の二段階があります。「基本的な法」は、直説法、可能法、非人称法、経験法の四種類です。


ただし四種類の基本的な法が揃っているのは「非使役語幹の動態動詞(→ 12.4.)」のみで、それ以外の種別の動詞には直説法だけしかありません。


「派生した法」には希求法、願望法、命令法、禁止法、禁止希求法の五種類があります。このうち希求法と願望法は「基本的な法」のすべてから派生しますが、命令法、禁止法、禁止希求法は直説法からのみ派生します。



直説法 = ある人がある行為を「する」


可能法 = [1] ある人にある行為が「できる」

[2] ある人がある行為を「してしまう」


非人称法 = ある行為が「不特定多数の人にできる」または

ある行為を「不特定多数の人がする」


経験法 = あるがある行為したことがある


●●● ラズ語の未来形は希求法から派生します。

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◘◘◘ 「接続法」◘◘◘ 


英語、ドイツ語、フランス語、ギリシャ語などにあるような「接続法」というものは、ラズ語にはありません。

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11.5.1. 直説法および直説法から派生した法

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11.5.1.1. 直説法


ラズ語の動詞の基本的な直説法は、「ある人がある行為をする・した・している・していた」または「ある人がある状態にある・あった」ことを表現します。


本章でこれまでに紹介した形態は、すべて直説法です。

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11.5.1.2. 希求法 (+ 未来形)


直説法から派生した希求法の単純形は、「自分がある行為をしたい」「ある状態にありたい」または「ある人にある行為をしてもらいたい」「ある状態にあって欲しい」ことを表現します。


希求法標識は{-a-}一種類だけです。


未完了相希求法と完了相希求法の二種類があります。希求法標識は、未完了相では「回想・希望」標識{-t’-}に、完了相では語幹に後接します。


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11.5.1.2.1. 希求法単純形


[未完了相希求法の例]


xert’as (< -xer- + -t’- + -a- + -s) : (その人に)坐っていてもらいたい


-xer- : 静態動詞xers ~ xen (坐っている) の語幹(*)

-t’- : 回想・希望標識

-a- : 希求法標識

-s : 現在時制・三人称・単数標識


(*) 直説法未完了相三人称単数形がxersとなるのはPazar方言のみ


[活用]

単数  複数

一人称 (1) pxert’a pxert’at

二人称 (2) (xert’a) (xert’at)

三人称 xert’as (3) xert’an (4)


(1) 希求法一人称は「私がやりたい」という希望、または「私がやりましょう」「私たちがやりましょう」という提案を表現します。


(2) 二人称の人物(= 対話者)に「何かをしてもらいたい」時には一般に後述する「命令法」を使うため、希求法単純形の二人称の用例はごく稀ですが、動詞後置詞(後置接続詞I)(→ 6.2.)を伴った用法や希求法から派生する未来形などに規則的に現れます。


(3) (ÇM)(AŞ) 平叙形 xert’ay , 疑問形 xert’as-i ?


(4) xert’an < xert’a- + -an  : 二つの /a/ が一つに融合しています。



[完了相希求法の例]


mç’imas (< -mç’im- + -a- + -s) : (雨が)降ってもらいたい


-mç’im- : mç’ims ([雨が]降る、降っている)の語幹

-a- : 希求法標識

-s : 現在時制三人称単数標識


(ÇM)(AŞ) 平叙形 mç’imay , 疑問形 mç’imas-i ?


● (ÇX) mç’vas (代表形はmç’vips)



● {希求法 + 動詞後置詞(後置接続詞I) = 「時に関する副詞節」}(6.2., 13.)


希求法から「未来形」「過去における未来形」などが派生します。


「禁止希求法」は、未完了相希求法から派生します(→ 11.5.1.6.)



[完了相希求法の複人称活用の例]


u3’omers ~ u3’umers の完了相希求法 :「告げよう」「告げてもらいたい」


(全方言)


動作主体

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数 

2.複数

3.単数・複数

1.単数 

(なし)

gi3’va

gi3’vat

vu3’va ~ bu3’va

2.単数 

(mi3’va)

(mi3’vat)

(なし)

(u3’va)

3.単数 

mi3’vas

mi3’van

gi3’vas

gi3’van

u3’vas

1.複数 

(なし)

gi3’vat

vu3’vat ~ bu3’vat

2.複数 

(mi3’vat)

(なし)

(u3’vat)

3.複数 

mi3’van

gi3’van

u3’van


二人称(= 対話者)に対して「してもらいたい」ことを表現するときには一般に命令法を用いるため、希求法二人称の用例はごく稀です。


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11.5.1.2.2. 未来形


ラズ語の動詞の未来形は希求法から(*)派生するのですが、方言によって形態に大きな変異があります。


(*)存在動詞や大多数の静態動詞の未来形は未完了相希求法から、動態動詞や一部の静態動詞の未来形は完了相希求法から派生します。


未来形は、どの方言でも常に希求法標識{-a-}にアクセントがあります。


t’axums ~ t’axups (折る、割る)の例:「折るつもりだ、割る予定だ」


[A] (PZ郡西部・中部)

単数 複数

一人称 p’t’axare p’t’axatere

二人称 t’axare t’axatere

三人称 t’axasere t’axanere ~ t’axanene



[B] (PZ郡東部)(ÇM)(AŞ)(FN)


単数 複数

一人称 p’t’axare p’t’axaten

二人称 t’axare t’axaten

三人称 t’axasen t’axanen


Çamlıhemşin郡などの方言では、語末の /e/ の脱落した p’t’axar, t’axar という形態を頻繁に耳にします。


この場合も、希求法標識{a-}を含む音節にアクセントがあります。



[C] (AH)

単数 複数

一人称 p’t’axare p’t’axaten

二人称 t’axare t’axaten

三人称 t’axasen t’axanoren ~ t’axanon


Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなどの村の方言には、語末の /e/ の脱落した p’t’axar, t’axar という形態もあります。


この場合も、希求法標識{a-}を含む音節にアクセントがあります。



[D] (HP) Hopa方言には未来形が二種類あり、Arhavi方言と同じ形態と下記の独自の形態とが併存しています。下記の形態は{希求法 + 静態動詞unon}(*)という構成になっていますが、地域によってかなりの変異があります。


(*) 静態動詞unonは、単独では「~ を望む、~ が欲しい」という意味です(→ 12.2., 13.2.)


[D-1] Mxigi

単数 複数

一人称 p’t’axaminon p’t’axatminonan (1)

二人称 t’axaginon t’axatginonan (1)

三人称 t’axasunon t’axasunonan



[D-2] Makreal

単数 複数

一人称 p’t’axaminon p’t’axaminonan

二人称 t’axaginon t’axaginonan

三人称 t’axasinon t’axasinonan (2)



[D-3] Sarp

単数 複数

一人称 p’t’axaminon p’t’axaminonan

二人称 t’axaginon t’axaginonan

三人称 t’axasiyon t’axasiyonan (2)


(1) Mxigi村の方言では「複数・非三人称」の標識{-t}を発音します。

(2) Makreal町とSarp村の方言ではunonの語頭の母音が三人称形で /i/ に変化しています。



[E] (ÇX)

単数 複数

一人称 p’t’axaun p’t’axatun

二人称 t’axaun t’axatun

三人称 t’axasun t’axanun


p’t’axaunon, t’axaunon, t’axasunon, p’t’axatunon, t’axatunon, t’axanunonという形態もあります。

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11.5.1.2.3. 過去における未来形


「過去における未来形」は「するつもりだったが実現しなかった行為」「なるはずだったが実現しなかった状態」の回想を表現します。


動態動詞の場合、無脚語幹(= 完了相)未完了相標識の一つである{-t’-}との組み合わせが「過去において一回限り実現するはずだった(完了相希求法)けれども実現し得なかった行為の惹き起こした不満足な心理状態(未完了相)」の回想が二つの相にまたがることをよく表わしています。


t’axums ~ t’axups (折る、割る)の例:「折るつもりだった、割るところだった」


[A] (PZ)(ÇM)(AŞ)

単数 複数

一人称 p’t’axart’u p’t’axatert’u

二人称 t’axart’u t’axatert’u

三人称 t’axasert’u t’axanert’u



[B-1] (FN) Sumla

単数 複数

一人称 p’t’axat’i p’t’axat’it

二人称 t’axat’i t’axat’it

三人称 t’axat’u t’axat’es



[B-2] (FN) Ç’urç’ava

単数 複数

一人称 p’t’axat’t’i p’t’axat’t’it

二人称 t’axat’t’i t’axat’t’it

三人称 t’axastun (*) t’axat’t’es


(*) 中部・東部方言では、摩擦音の後の放出音は規則的に非放出音化します。



[C] (AH) Arhavi郡の方言では前述の未完了相過去時制(→ 11.2.2.)が「過去における未来」をも表現します。



[D-1] (HP) Mxigi

単数 複数

一人称 p’t’axamint’u p’t’axatmint’es

二人称 t’axagint’u t’axatgint’es

三人称 t’axasunt’u t’axasunt’es



[D-2] (HP) Makreal

単数 複数

一人称 p’t’axamint’u p’t’axamint’es

二人称 t’axagint’u t’axagint’es

三人称 t’axasint’u t’axasint’es



[E] (ÇX)

単数 複数

一人称 p’t’axaunt’i p’t’axaunt’it

二人称 t’axaunt’i t’axaunt’it

三人称 t’axasunt’u t’axanunt’es


「過去における未来形」のアクセントも、常に希求法標識{-a-}にあります。

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11.5.1.3. 願望法


願望法は「実現しなかった(あるいは実現し得ない)ことに関する仮定条件」「実現の可能性の低い仮定条件」「叶わぬ望み」などを表現します。


Fındıklı郡以西の方言では「婉曲な提案」にも用います。

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11.5.1.3.1. (PZ)(ÇM)(AŞ)(FN)


Fındıklı郡以西の方言では、願望法は{直説法未完了相過去 + -k’o}および{直説法完了相基本形 + -k’o}(*)という構成です。ここでは、用例の多い完了相願望法のみを紹介します。


(*) Ardeşen方言とFındıklı方言には{-k’o}の変異形{-k’ona}もあります。


●●● 西部方言では一人称と二人称の複数人称標識が{-k’o}に後接します。また三人称複数形では{-k’o}{-es}が「入り混じる」形で融合した{-ek’es}(PZ), {-ek’oy} ~ {-ek’os}(ÇM)(AŞ)という形態になっています。



t’axums ~ t’axups (折る、割る)の例: (あのとき)折っていたら、割っていたら」

「折ったらいいのに、割ったらいいのに」

「割りましょうか」「割ったらどうでしょうか」


(PZ) 単数 複数

一人称 p’t’axik’o p’t’axik’ot

二人称 t’axik’o t’axik’ot

三人称 t’axuk’o t’axek’es



(ÇM)(AŞ) 単数 複数

一人称 p’t’axik’o p’t’axik’ot

二人称 t’axik’o t’axik’ot

三人称 t’axuk’o t’axek’oy (*)


(*) 疑問形 t’axekos-i ?


単数形ではp’t’axik’ona, t’axik’ona, t’axuk’onaとも



(FN) 単数 複数

一人称 p’t’axik’o p’t’axit’k’o

二人称 t’axik’o t’axit’k’o

三人称 t’axuk’o t’axesko

p’t’axik’ona, t’axik’ona etc とも


願望法標識{-k’o} ~ {-k’ona}は、語のアクセントの位置を変えません。

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11.5.1.3.2. (AH)(HP)(ÇX)


Arhavi郡以東の方言では、用例の多い願望法はFındıklıSumla村方言の「過去における未来形」(11.5.1.2.3.B-1)と同じ形態です。詳細は「動詞 : 活用」の章で(→ 13.)記述しています。


叶わぬ望みであることを強調する接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}(AH), {-k’on} ~ {-k’onna} (HP)がつくこともあります。


単数 複数

一人称 p’t’axat’i p’t’axat’it

二人 t’axat’i t’axat’it

三称 t’axat’u t’axat’es


[強調形](AH)

単数 複数

一人称 p’t’axat’ik’o p’t’axat’it’k’o

二人称 t’axat’ik’o t’axat’it’k’o

三人称 t’axat’uk’o t’axat’esko

p’t’axat’ikona, t’axat’ikona などの形態もあります。


[強調形](HP)

単数 複数

一人称 p’t’axat’ik’on p’t’axat’it’k’on

二人称 t’axat’ik’on t’axat’it’k’on

三人称 t’axat’uk’on t’axat’eskon


p’t’axat’ikonna, t’axat’ikonnaなどの形態もあります


願望法強調接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}, {-k’on} ~ {-k’onna}は、語のアクセントの位置を変えません。

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11.5.1.4. 命令法


ラズ語の動詞の命令法は二人称のみです。形態は直説法完了相基本形と同じで、語調と文脈で区別します。


t’axums ~ t’axups (折る、割る)の命令法 :

「折れ、折りなさい、折ってください、割れ、割りなさい、割ってください」


単数 複数

一人称 (なし) (なし)

二人称 t’axi t’axit

三人称 (なし) (なし)



単人称活用の動詞の命令法の例:


[代表形] [命令法]

doxedun (坐る) : doxedi ! , doxedit !

imt’en (逃げる) : imt’i ! , imt’it !

mulun (来る) : moxt’i ! , moxt’it ! (西) ~ moxti ! , moxtit ! (中・東)

ulun (行く) : idi ! , idit !


doxedun, doxedi, doxeditは、語頭にアクセントがあります。



複人称活用の動詞の命令法の例:


u3’omers ~ u3’umers の命令法「(特定の他者に)告げなさい、言ってください」


(全方言)


主語

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数・複数 

3.単数・複数

1.単数 

(なし)



(なし)

(なし)

2.単数 

mi3’vi

mi3’vit

u3’vi

3.単数 

(なし)

(なし)

1.複数 

(なし)

(なし)

2.複数 

mi3’vit

u3’vit

3.複数 

(なし)

(なし)

 

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11.5.1.5. 禁止法


ラズ語では、禁止命令「するな」は、命令法とは全く異なった形態です。「命令法否定形」ではありません。


禁止法は{mot + 直説法未完了相現在形}という構成です。二人称のみです。


(doxedun) mot doxedur !  : (単数の相手に) 坐るな、坐らないでくれ

mot doxedurt ! : (複数の相手に) 坐るな、坐らないでくれ


(以下、単数形のみを記します)


(ibgars) mot ibgar ! : 泣くな、泣かないでくれ

~ (imgars) ~ mot imgar !

(imt’en) mot imt’er !  : 逃げるな、逃げないでくれ

(mulun) mot mulur !  : 来るな、来ないでくれ

(t’axums) mot t’axum !  : 折るな、割るな、割らないでくれ

(ulun) mot ulur !  : 行くな、行かないでくれ



■■■ 禁止法標識のmotは無強勢です。疑問副詞 mot (なぜ、どうして)には強いアクセントがありますから、話し言葉で両者の混同は起こりません。しかし文字に書くと同形態ですから、区別するために感嘆符(= !)、疑問符(= ?)が必要になります。


(doxedun) mot doxedur ?  : なぜ坐るのだ

(ibgars) mot ibgar ? : なぜ泣くのだ

~ (imgars) ~ mot imgar ?

(imt’en) mot imt’er ?  : なぜ逃げるのだ

(mulun) mot mulur ?  : なぜ来るのだ

(t’axums) mot t’axum ?  : なぜ割るのだ

(ulun) mot ulur ?  : なぜ行くのだ


禁止法標識にはmo ~ moyという変異形があります。疑問副詞motの変異形mo ~ moyと同形態です。両者は同じ起源のものかもしれません。

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11.5.1.6. 禁止希求法


禁止希求法は「自分はある行為をするまい」「ある人にある行為をしないでもらいたい」などを表現します。


禁止希求法は、Çamlıhemşin郡以東の方言では、{mot + 未完了相希求法}という構成で全人称に活用しますが、対話者に対して「ある行為をしないでもらいたい」ときには一般に禁止法を用いるので、二人称の用例は稀です。


●●● Pazar郡方言では{mot + 完了相希求法}という構成です。第十三章で記述します。


[単人称活用の動詞の禁止希求法の例]


[A] ikums ~ ikoms ~ ikips (する、やる)


[A-1](西部方言)

単数 複数

一人称 mot vikumt’a mot vikumt’at

~ mot bikumt’a ~ mot bikumt’at

二人称 (mot ikumt’at) (mot ikumt’at)

三人称 mot ikumt’as mot ikumt’an

~ mot ikumt’ay



[A-2](中部方言)

単数 複数

一人称 mot bikomt’a mot bikomt’at

二人称 (mot ikomt’a) (mot ikomt’at)

三人称 mot ikomt’az mot ikomt’an

~ mot ikomt’as


[A-3](東部方言)

単数 複数

一人称 mot vikip’t’a mot vikip’t’at

二人称 (mot ikip’t’a) (mot ikip’t’at)

三人称 mot ikip’t’az mot ikip’t’an

~ mot ikip’t’as



[B] ulun (行く)


[B-1](西部方言)

単数 複数

一人称 mot bulurt’a mot bulurt’at

二人称 (mot ulurt’a) (mot ulurt’at)

三人称 mot ulurt’as mot ulurt’an

~ mot ulurt’ay


[B-2](中部・東部方言)

単数 複数

一人称 mot bulut’a mot bulut’at

二人称 (mot ulut’a) (mot ulut’at)

三人称 mot ulut’az mot ulut’an

~ mot ulut’as



[C] t’axums ~ t’axups (折る、割る)


[C-1](西部・中部方言)

単数 複数

一人称 mot p’t’axumt’a mot p’t’axumt’at

二人称 (mot t’axumt’a) (mot t’axumt’at)

三人称 mot t’axumt’as mot t’axumt’an

~ mot t’axumt’ay


[C-2](東部方言)

単数 複数

一人称 mot p’t’axup’t’a mot p’t’axup’t’at

二人称 (mot t’axup’t’a) (mot t’axup’t’at)

三人称 mot t’axup’t’az mot t’axup’t’an

~ mot t’axup’t’as



[D] doxedun (坐る)


単数 複数

一人称 mot dopxedurt’a mot dopxedurt’at

二人称 (mot doxedurt’a) (mot doxedurt’at)

三人称 mot doxedurt’as mot doxedurt’an


変異形の記述は省略します。



[複人称活用の動詞の禁止希求法の例]


u3’omers ~ u3’umers の禁止希求法:「告げまい」「告げないでもらいたい」


(西部方言形)

主語

受益者の人称と数

1.単数 私に

2.単数 あなたに

3.単数・複数 あの人に・あの人たちに

1.

(なし)

mot gi3’omert’a

mot vu3’omert’a ~ mot bu3’omert’a

2.

(mot mi3’omert’a)

(なし)

(mot u3’omert’a)

3. 

mot mi3’omert’as

mot gi3’omert’as

mot u3’omert’as

1.

(なし)

mot gi3’omert’at

mot vu3’omert’at ~

mot bu3’omert’at

2.

(mot mi3’omert’at)

(なし)

(mot u3’omert’at)

3.

mot mi3’omert’an

mot gi3’omert’an

mot u3’omert’an


(中部・東部方言形)

主語

受益者の人称と数

1.単数 私に

2.単数 あなたに

3.単数・複数 あの人に・あの人たちに

1.

(なし)

mot gi3’umet’a

mot bu3’umet’a ~ mot vu3’umet’a

2.

(mot mi3’umet’a)

(なし)

(mot u3’umet’a)

3. 

mot mi3’umet’as

mot gi3’umet’as

mot u3’umet’as

1.

(なし)

mot gi3’umet’at

mot bu3’umet’at ~ mot vu3’umet’at

2.

(mot mi3’umet’at)

(なし)

(mot u3’umet’at)

3.

mot mi3’umet’an

mot gi3’umet’an

mot u3’umet’an


受益者または主要な補語が「非三人称・複数」の場合は、主語が単数であっても、動詞の語末が{-at}{-an}となります。

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11.5.2. 可能法および可能法から派生した法


ラズ語の可能法には、意味が二種類あります。


[1]できる  (読める、書ける、待てる・・・)


[2]してしまう 「そのつもりではないのにある行為をしてしまう」


●●● 与格主語構文


可能法の動詞の動作主体(主語)与格に、動作対象(補語)絶対格になります。日本語の「私できるか」「こんな小さな子この漢字読めるとは思わなかった」などの表現と平行しています。


可能法があるのは非使役語幹の動態動詞だけです。


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11.5.2.1. 可能法

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11.5.2.1.1. 可能法未完了相


「基本的な可能法」未完了相現在時制の構成は{前接人称標識 II + 語幹頭母音a- + 可能法語幹 + 後接「汎人称」時制標識 -en (< -er + -n)}です。表にすると下のようになります。



単数

複数

一人称

m- + -a- + 語幹 + -en

m- + -a- + 語幹 + -eran ~ -enan

二人称

g- + -a- + 語幹 + -en

g- + -a- + 語幹 + -eran ~ -enan

三人称

ø- + -a- + 語幹 + -en

ø- + -a- + 語幹 + -eran ~ -enan


可能法語幹は、ほとんどの動詞で直説法完了相語幹と同じですが、異形態を取る動詞もあります(→ B, Cの例)


可能法・未完了相・現在時制は、文脈によって「ある人にある行為ができる」こと、または「ある人が、そのつもりではないのに、ある行為をしてしまう」ことを表現します。


[A] t’axums ~ t’axups (折る、割る) 「折ることができる」「割ることができる」

「折ってしまう」「割ってしまう」


単数  複数

一人称 mat’axen mat’axeran ~ mat’axenan

二人称 gat’axen gat’axeran ~ gat’axenan

三人称 at’axen at’axeran ~ at’axenan



[B] ulun (行く) 「行ける」

「行ってしまう」


単数  複数

一人称 malen maleran ~ malenan

二人称 galen galeran ~ galenan

三人称 alen aleran ~ alenan


可能法の動詞の動作主(主語)与格になります。Çamlıhemşin郡とArdeşen郡では、地域によって統合斜格を用いる所と絶対格を用いるところがあります。「あの人はホパ町へ行くことができる」という文は、ラズ語諸方言で次のように表現します。


(PZ) Himus Xopaşe alen. [与格主語]

(ÇM-M3’anu) Himu Xopaşa alen. [統合斜格主語]

(AŞ-Ok’ordule) Him Xopaşa alen. [絶対格主語]

(FN) Heyaz Xopaşa alen. [与格主語]

~ Hemuz Xopaşa alen.

(AH) Hemus Xopaşa alen. [与格主語]

(HP)(ÇX) Emus Xopaşa alen. [与格主語]



[C] ibgars ~ imgars ()(1) 「泣くことができる

「泣けてしまう」「泣けて(2)


[C-1] 単数 複数

一人称 mabgarinen mabgarineran ~ mabgarinenan

二人称 gabgarinen gabgarineran ~ gabgarinenan

三人称 abgarinen abgarineran ~ abgarinenan



[C-2](HP) 単数 複数

一人称 mamgarinen mamgarinenan

二人称 gamgarinen gamgarinenan

三人称 amgarinen amgarinenan


(1) 多語幹動詞です。可能法の語幹は{-bgarin-} ~ {-mgarin-}です。


(2) 日本語の「可能動詞」にも「泣ける」「泣けてしまう」のように「可能」ではなく「そのつもりではないのに」を意味する表現があるのは興味深いことです。


可能法の動詞のアクセントは、すべての相と時制で、語幹が母音を含む場合は語幹最終母音のある音節、語幹が子音のみからなる場合は語幹頭母音のある音節にアクセントが来ます。未完了相現在時制の場合、単数形では語末から二番目、複数形では語末から三番目の音節です。


可能法未完了相の過去時制(: malert’u : あの頃は行けた)などは「動詞の活用」の章(13.)で記述します。


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11.5.2.1.2. 可能法完了相 


可能法・完了相・単純形の構成 :



単数

複数

一人称

m- + -a- + 語幹 + -u

m-+ -a- + 語幹 + -es

二人称

g- + -a- + 語幹 + -u

g- + -a- + 語幹 + -es

三人称

ø- + -a- + 語幹 + -u

ø- + -a- + 語幹 + -es


可能法・完了相・単純形は、文脈によって「ある人にある行為ができた」こと、または「ある人が、そのつもりではないのに、うっかりある行為をしてしまった」ことを表現します。


[A] t’axums ~ t’axups (折る、割る) 「折ることができた」「割ることができた」

「折ってしまった」「割ってしまった」


単数  複数

一人称 mat’axu mat’axes

二人称 gat’axu gat’axes

三人称 at’axu at’axes


[B] ibgars ~ imgars (泣く) 「泣くことができた」

「泣けてしまった」「泣けて来た」


[B-1] 単数 複数

一人称 mabgarinu mabgarines

二人称 gabgarinu gabgarines

三人称 abgarinu abgarines



[B-2](HP) 単数 複数

一人称 mamgarinu mamgarines

二人称 gamgarinu gamgarines

三人称 amgarinu amgarines


可能法完了相の複合形「大過去」「伝聞過去」などは「動詞の活用」の章(13.)で記述します。

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11.5.2.1.4. 可能法のない動態動詞


複人称活用をする動態動詞u3’omers ~ u3’umers (特定の他者に告げる、言う)には、語幹頭母音{i-/u-}のそなわった形態しかありません。他の語幹頭母音で置き換えることができないため、この動詞には可能法は存在しません。したがって可能法から派生する可能希求法、可能願望法もありません。


ラズ語には、このほかにも、語幹頭母音の制約などのために直説法以外の法の欠けた動詞が多数あります(→ 11.6. 語幹頭母音)。活用体系が複雑多岐に亘り過ぎないように「安全弁」がついているのでしょうか。

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11.5.2.2. 可能希求法


可能希求法 =「することができますように」


構成は{前接人称標識 II + 語幹頭母音a- + 可能法語幹 + 希求法標識 -a + 後接「汎人称」時制標識 -s, -an}です。表にすると次のようになります。



単数

複数

一人称

m- + a- + 語幹 + -a + -s

m- + a- + 語幹 + -a + -an (*)

二人称

g- + a- + 語幹 + -a + -s

g- + a- + 語幹 + -a + -an (*)

三人称

ø- + a- + 語幹 + -a + -s

ø- + a- + 語幹 + -a + an (*)


(**) {-a + -an}は、融合して、全方言で/-an/ となります。


[A] t’axums ~ t’axups (折る、割る) 「折る(割る)ことができますように」


単数  複数

一人称 mat’axas (*) mat’axan

二人称 gat’axas (*) gat’axan

三人称 at’axas (*) at’axan


(*) (ÇM)(AŞ) 平叙形 mat’axay, gat’axay, at’axay;

疑問形 mat’axas-i, gat’axas-i, at’axas-i.



[B] ulun (行く) 「行けますように」


単数  複数

一人称 malas malan

二人称 galas galan

三人称 alas alan


(地域変異形の記述は省略します)


可能希求法の動詞のアクセントは、常に語末から二番目の音節にあります。


可能希求法から「可能法・未来」「可能法・過去における未来」などが派生します。「動詞の活用」の章で記述します。

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11.5.2.3. 可能願望法


可能願望法は、実現の可能性の低い(あるいは全くない)ことについて「する能力があればいい」「できたらいいのに」という「叶わぬ望み」を表現します。

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11.5.2.3.1. (PZ)(ÇM)(AŞ)(FN)


Fındıklı郡以西の方言では、可能願望法は{可能法完了相 + -k’o}という構成です(*)


西部方言では一人称と二人称の複数人称標識が{-k’o}に後接します。また三人称複数形では{-k’o}{-es}が融合した{-ek’es}(PZ), {-ek’oy} ~ {-ek’os}(ÇM)(AŞ)という形態になっています。


(*) Ardeşen方言とFındıklı方言には{-k’o}の変異形{-k’ona}もあります。


t’axums ~ t’axups (折る、割る) 「折る(割る)ことができたらいいのに」


(PZ) 単数  複数

一人称 mat’axuk’o mat’axek’es

二人称 gat’axuk’o gat’axek’es

三人称 at’axuk’o at’axek’es



(ÇM)(AŞ) 単数  複数

一人称 mat’axuk’o mat’axek’oy (*)

二人称 gat’axuk’o gat’axek’oy (*)

三人称 at’axuk’o at’axek’oy (*)


(*) 疑問形: mat’axek’os-i, gat’axek’os-i, at’axek’os-i.


単数形ではmat’axuk’ona, gat’axuk’onaなどとも



(FN) 単数  複数

一人称 mat’axuk’o mat’axesko

二人称 gat’axuk’o gat’axesko

三人称 at’axuk’o at’axesko


mat’axuk’ona, gat’axuk’onaなどとも


願望法標識{-k’o} ~ {-k’ona}は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。


可能願望法の動詞のアクセントは、Fındıklı郡以西の方言形では常に語末から三番目の音節にあります。


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11.5.2.3.2. (AH)(HP)(ÇX)


Arhavi郡以東の方言では、可能願望法は{前接人称標識 II + 語幹頭母音a- + 可能法語幹 + 希求法標識 -a + -t’- + 過去時制汎人称標識}という構成です。


叶わぬ望みであることを強調する接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}(AH), {-k’on} ~ {-k’onna} (HP)がつくこともあります。


(AH)(HP)(ÇX)

単数  複数

一人称 mat’axat’u mat’axat’es

二人称 gat’axat’u gat’axat’es

三人称 at’axat’u at’axat’es


[強調形](AH) mat’axat’uk’o, mat’axat’uk’onaなど

[強調形](HP) mat’axat’uk’on, mat’axat’uk’onnaなど



願望法強調接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}, {-k’on} ~ {-k’onna}は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。



可能願望法の動詞のアクセントは、Arhavi郡以東の方言形では、常に希求法標識{-a-}を含む音節にあります。

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11.5.3. 非人称法および非人称法から派生した法


ラズ語の非人称法は、ある行為が一般に可能であるかどうか、実現しているかどうか、または為すべきであるかどうかを、動作主を表わさずに表現する形式です。日本語にもある「この水は飲める」「その本はどこで売っていますか」「被災者には義捐金を送るものだ」のように、動作主が誰であるか(誰が飲むか、誰が売っているか、誰が送るか)は問題にならない事柄についての無主語表現に相当します。


動作対象(= 直接目的語)は三人称に限ります。また、数標識を伴うことはありません。


非人称法があるのは非使役語幹の動態動詞のみです。

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11.5.3.1. 非人称法

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11.5.3.1.1. 非人称法未完了相


非人称法・未完了相・現在時制の構成は{語幹頭母音i- + 非人称法語幹 + 汎人称現在時制標識-en (< -er + -n)}です。


[代表形] [非人称法]


imxors (食べる) işk’omen (西)   (不特定多数の人が)食べる、食用になる

~ iç’k’omen (中・東)


t’axums (折る、割る) it’axen (不特定多数の人が)折る、割る



非人称法語幹は、大多数の動詞で直説法完了相語幹と同じですが、異形態をとる動詞もあります。


[代表形] [非人称法]


ibgars (泣く) ibgarinen (西・中) (不特定多数の人が)泣く

~ imgars ~ imgarinen (HP)


ulun (行く) ilven (PZ) (不特定多数の人が)行く、行ける

~ ilen (AŞ)

~ ixtinen (FN-Ç’anapet, Ç’enneti)

~ ilen ~ ilinen (FN-Sumla)(AH)(HP)

~ ilen (ÇX)


it’urs (言う)(西) izit’en (PZ) (不特定多数の人が)言う

~ izit’t’en (ÇM)(AŞ)


zop’ons (言う)() itkvinen (FN) (不特定多数の人が)言う

~ itkven ~ itkvinen (AH-中心部など)(*)

~ it’k’vinen (AH-Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなど)


tkumers (言う)(HP) itkven ~ itkvinen (*) (不特定多数の人が)言う


(*) Arhavi以東の方言ではitkvinenという形態を特に「陰に隠れて悪口を言う人がいる」という意味で用います。


非人称法・未完了相・現在時制の動詞のアクセントは、動詞前辞(→ 11.7. )がついていない場合、語末から二番目の音節にあります。


非人称法・未完了相・過去時制(: ibgarinert’u : あのとき泣く人が大勢いたものだ)などは「動詞の活用」の章(13.)で記述します。


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11.5.3.1.2. 非人称法完了相


非人称法・完了相基本形の構成は{語幹頭母音i- + 非人称法語幹 + 汎人称過去時制標識-u}です。


[代表形] [非人称法]


imxors (食べる) işk’omu (西) (不特定多数の人が)食べた

~ iç’k’omu (中・東)


t’axums (折る、割る) it’axu (不特定多数の人が)折った、割った



直説法完了相語幹と非人称法語幹が異形態をとる動詞の例。


[代表形] [非人称法]


ibgars (泣く) ibgarinu (西・中) (不特定多数の人が)泣いた

~ imgars ~ imgarinu (HP)


ulun (行く) ilu (西)(AH)(HP) (不特定多数の人が)行った、行けた

~ ixtinu (FN)(*)


it’urs (言う)(西) izit’u (PZ) (不特定多数の人が)言った

~ izit’t’u (ÇM)(AŞ)


zop’ons (言う)() itkvinu (FN) (不特定多数の人が)言った

~ itku ~ itkvinu (AH-中心部など)

~ it’k’vinu (AH-Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなど)


tkumers (言う)(HP) itku ~ itkvinu (不特定多数の人が)言った


(*) 完了相語幹{-xt-}に機能不明の語幹形成接辞{-in-}のついた形態が、なぜか中部のFındıklı郡のみに分布しています。


非人称法・完了相基本形の動詞のアクセントは、動詞前辞がついていない場合、語末から二番目の音節にあります。


非人称法・完了相・複合時制(大過去、伝聞過去)は「動詞の活用」の章(13.)で記述します。


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11.5.3.1.3. 非人称法のない動態動詞


複人称活用をする動詞u3’omers ~ u3’umers (特定の人物に告げる、言う)には、語幹頭母音{i-/u-}のそなわった形態しかありません。他の語幹頭母音で置き換えることができないため、この動詞には非人称法は存在しません。もちろん非人称法から派生する非人称希求法、非人称願望法もありません。


ラズ語には、このほかにも、語幹頭母音の制約などのために直説法以外の法の欠けた動詞が多数あります(→ 11.6. 語幹頭母音)。活用体系や構文が複雑多岐に亘り過ぎないように「安全弁」がついているのかもしれません。


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11.5.3.2. 非人称希求法


非人称希求法の構成は{語幹頭母音i- + 非人称法語幹 + 希求法標識 -a + 汎人称現在時制標識 -s)}です。


[代表形] [非人称希求法]


imxors (食べる) işk’omas (西)(*) 食用になりますように

~ iç’k’omas (中・東)(**)


(*) (ÇM)(AŞ) 平叙形 işk’omay, 疑問形 işk’omas-i ?

(**) iç’k’omaz とも

[以下の例ではこの種の地域変異形の記述は省略します]


t’axums (折る、割る) it’axas (不特定多数の人が)割りますように



直説法完了相語幹と非人称法語幹が異形態をとる動詞の例。


[代表形] [非人称希求法]


ibgars (泣く) ibgarinas (西・中) (不特定多数の人が)泣きますように

~ imgars ~ imgarinas (HP)


ulun (行く) ilvas (PZ) (不特定多数の人が)行きますように

~ ilas (ÇM)(AŞ)(AH)(HP)

~ ixtinas (FN)(*)


it’urs (言う)(西) izit’as (PZ) (不特定多数の人が)言いますように

~ izit’t’ay (ÇM)(AŞ)


zop’ons (言う)() itkvinas (FN) (不特定多数の人が)言いますように

~ itkvas ~ itkvinas (AH-中心部など)

~ it’k’vinas (AH-Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなど)


tkumers (言う)(HP) itkvas ~ itkvinas (不特定多数の人が)言いますように



(*) 完了相語幹{-xt-}に機能不明の語幹形成接辞{-in-}のついた形態が、なぜか中部のFındıklı郡のみに分布しています。


非人称希求法の動詞のアクセントは、動詞前辞がついていない場合、語末から二番目の音節にあります。


非人称希求法から「非人称法・未来」「非人称法・過去における未来」などが派生します。「動詞の活用」の章で記述します。

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11.5.3.3. 非人称願望法


非人称願望法は、実現の可能性の低い(あるいは全くない)ことについて「不特定多数の人にできたらいいのに」という叶わぬ望みを表現します。

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11.5.3.3.1. Fındıklı郡以西の方言


Fındıklı郡以西の方言では、非人称願望法の構成は{非人称法完了相 + -k’o}です(*)


(*) Ardeşen方言とFındıklı方言には{-k’o}の変異形{-k’ona}もあります。


[代表形] [非人称願望法]


imxors (食べる) işk’omuk’o (西) (不特定多数の人に)食べられたらいいのに

~ iç’k’omuk’o (FN)


t’axums (折る、割る) it’axuk’o (不特定多数の人が)割ったらいいのに


ibgars (泣く) ibgarinuk’o (不特定多数の人が)泣いたらいいのに


it’urs (言う)(西) izit’uk’o (PZ) (不特定多数の人が)言ったらいいのに

~ izit’t’uk’o (ÇM)(AŞ)


zop’ons (言う)(FN) itkvinuk’o (FN) (不特定多数の人が)言ったらいいのに



願望法標識{-k’o} ~ {-k’ona}無強勢、語のアクセントの位置えません


非人称願望法の動詞のアクセントは、Fındıklı郡以西の方言形では常に語末から三番目の音節にあります。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

11.5.3.3.2. Arhavi郡以東の方言


Arhavi郡以東の方言では、非人称願望法は{語幹頭母音i- + 非人称法語幹 + 希求法標識 -a + -t’- + 過去時制汎人称標識 -u}という構成です。


叶わぬ望みであることを強調する接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}(AH), {-k’on} ~ {-k’onna} (HP)がつくこともあります。


[代表形] [非人称願望法] (AH)()


ipxors (食べる) iç’k’omat’u (不特定多数の人に)食べられたらいいのに

~ imxors


t’axums (折る、割る) it’axat’u (AH)(HP)(ÇX) (不特定多数の人が)割ったらいいのに


ibgars (泣く) ibgarinat’u (AH) (不特定多数の人が)泣いたらいいのに

~ imgars ~ imgarinat’u (HP)


zop’ons (言う)(AH) itkvat’u (AH-中心部など) (不特定多数の人が)言ったらいいのに

~ it’k’vat’u (AH-Pilarget, Sidere, Jin-Napşitなど)


tkumers (言う)(HP) itkvat’u (不特定多数の人が)言ったらいいのに


願望法強調接尾辞{-k’o} ~ {-k’ona}, {-k’on} ~ {-k’onna}は無強勢で、語のアクセントの位置を変えません。


Arhavi郡以東の方言形では常に希求法標識{-a-}を含む音節にアクセントがあります。

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11.5.4. 経験法および経験法から派生した法


経験法は、ある人がある行為を「したことがある」ことを表現します。重要なのは「経験として身についている」ことであって、いつ、どのように、何回その行為をしたかは問題になりません。


経験法は「経験があるという状態」を示す形式ですから、当然、未完了相しかありません。


●●● 与格主語構文


経験法の動詞の動作主体(主語)与格に、動作対象(補語)絶対格になります。


経験法があるのは非使役語幹の動態動詞のみです。

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11.5.4.1. 経験法


現在時制は「過去の行為が経験として現在身についている」ことを、過去時制は「過去の行為が経験として過去のある時期にすでに身についていた」ことを表現します。

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11.5.4.1.1. 現在時制


現在時制の構成 :


西部方言: {前接人称標識 II + 語幹頭母音i-/u- + 経験法語幹

+ 経験法標識 -ap- (***)

+ 後接汎人称現在時制標識 -un (< -ur + -n)}


●●● (***) 経験法標識{-ap-}は、

使役動詞語幹形成接辞の一つと(→ 12.5.)同形態です。



中部・東部方言 : {前接人称標識 II + 語幹頭母音i-/u- + 経験法語幹

+ 後接汎人称現在時制標識 -un (< -ur + -n)}


Fındıklı郡方言の一部に、西部方言型の構成を観察することがあります。


[A] imxors (食べる) 「食べたことがある」


単数 複数

(西)  一人称 mişk’omapun mişk’omapuran ~ mişk’omapunan

二人称 gişk’omapun gişk’omapuran ~ gişk’omapunan

三人称 uşk’omapun uşk’omapuran ~ uşk’omapunan


(中・東) miç’k’omun miç’k’omunan

giç’k’omun giç’k’omunan

uç’k’omun uç’k’omunan



[B] ulun () 「行ったことがある


(西) milvapun milvapuran ~ milvapunan

gilvapun gilvapuran ~ gilvapunan

ulvapun ulvapuran ~ ulvapunan


(中・東) mixtimun mixtimunan

gixtimun gixtimunan

uxtimun uxtimunan


経験法現在時制の動詞は、単数形では語末から二番目、複数形では語末から三番目の音節にアクセントがあります。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


11.5.4.1.2. 過去時制


[A] imxors (食べる) 「それ以前に食べたことがあった」


単数 複数

(西)  一人称 mişk’omapurt’u mişk’omapurt’es ~ mişk’omapurt’e(y)

二人称 gişk’omapurt’u gişk’omapurt’es ~ gişk’omapurt’e(y)

三人称 uşk’omapurt’u uşk’omapurt’es ~ uşk’omapurt’e(y)


(中・東) miç’k’omut’u miç’k’omut’ez ~ miç’k’omut’es

giç’k’omut’u giç’k’omut’ez ~ giç’k’omut’es

uç’k’omut’u uç’k’omut’ez ~ uç’k’omut’es



[B] ulun () 「それ以前に行ったことがあった


(西) milvapurt’u milvapurt’es ~ milvapurt’e(y)

gilvapurt’u gilvapurt’es ~ gilvapurt’e(y)

ulvapurt’u ulvapurt’es ~ ulvapurt’e(y)


(中・東) mixtimut’u mixtimut’ez ~ mixtimut’es

gixtimut’u gixtimut’ez ~ gixtimut’es

uxtimut’u uxtimut’ez ~ uxtimut’es


経験法過去時制動詞、常語末から三番目音節にアクセントがあります

----------------------------------------------------------------------------------------------------------


11.5.4.1.3. 経験法のない動態動詞


複人称活用をする動詞u3’omers ~ u3’umers (特定の人物に告げる、言う)には、語幹頭母音{i-/u-}のそなわった形態しかありません。同じ形態の語幹頭母音を二つ重ねることができないため、この動詞には経験法は存在しません。経験法から派生する経験願望法もありません。


ラズ語には、このほかにも、語幹頭母音の制約などのために直説法以外の法の欠けた動詞が多数あります(→ 11.6. 語幹頭母音)

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11.5.4.2. 経験希求法 [空項目]


理論的に構築可能な「経験希求法」「経験法・未来」などの実例は自然な会話では見つかっていません。

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11.5.4.3. 経験願望法


経験願望法は、ある人にある行為の「経験があったらいいのに」という非現実の願望を表現します。


構成は{経験法(未完了相)過去時制 + -k’o}です。


ulun (行く) 「行った経験があったらよかったのに」


(西) milvapurt’uk’o milvapurt’ek’es ~ milvapurt’ek’oy

gilvapurt’uk’o gilvapurt’ek’es ~ gilvapurt’ek’oy

ulvapurt’uk’o ulvapurt’ek’es ~ ulvapurt’ek’oy


(中・東) mixtimut’uk’o mixtimut’esko

gixtimut’uk’o gixtimut’esko

uxtimut’uk’o uxtimut’esko


経験願望法の動詞は、常に語末から四番目の音節にアクセントがあります。

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11.6. 語幹頭母音


11.6.1. {ø-}


11.6.2. {i-}

11.6.2.1.「自分のための行為」

11.6.2.2. 非人称法標識

11.6.2.3. 機能不明・置換可能


11.6.3. {i-/u-}

11.6.3.1.「特定の他者のための行為」

11.6.3.2. 経験法標識

11.6.3.3. 機能不明・置換不能

11.6.3.4. 機能不明・置換可能


11.6.4. {a-}

11.6.4.1.「特定の他者を標的とする行為」

11.6.4.2. 可能法標識

11.6.4.3. 機能不明・置換不能


11.6.5. {o-}

11.6.5.1. 他動詞化標識

11.6.5.2. 機能不明・置換不能


ラズ語の動詞語幹には「語幹頭母音」がついて動作主と他者との関係を表わしたり、特定の法を構成したりします。


一部の動詞語幹には特定の語幹頭母音の具わった形態しかありません。この場合、当該の語幹頭母音の機能は不明なことが多く、残念ながらその起源を窺い知ることもできません。


語幹頭母音の形態は{a-}{i-}{i-/u-}{o-}の四種類で、これに「語幹頭母音の欠如」を数学的に示す{ø-}[= ゼロ]を加えると五種類になります。


語幹頭母音は、アクセントに関しては「中立」です。動詞が(語幹頭母音を含めて)二音節であれば「語末から二番目の音節」に当たるためにアクセントを受けます。三音節の動詞でも、語末音節が「無強勢かつ語のアクセントの位置を変えない」ものであればアクセントを受けます。

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11.6.1. 語幹頭母音{ø-}(= 欠如)


語幹頭母音の欠如している動詞は「特に誰のためということを意識しない行為」を表現します。


例 :

mbonums (西) ~ bonums () [人間、動物を] 洗う

mç’ims (西・中・HP) ~ mç’vips (ÇX) [雨が] 降る

mtums (西・中) ~ mtups () (1) [雪が] 降る

meçams (西・中) ~ meçaps ()  (2) やる、あげる、くれる、下さる

putxun (3) 、飛んでいる

t’axums (西) ~ t’axups () 、割


(1) mtun (AŞ- Dutxe)

(2) meçams ~ meçaps の語頭の{me-}は「動詞前辞」です(→ 11.7., 19.)

(3) cun (ÇM-M3’anu) ~ jun (AŞ-Jilen-Mzğem) 飛んでいる


語幹頭母音が欠如している場合、「可能法でも非人称法でも経験法でもない」ことから消去法で「直説法である」ことが分かります。しかし直説法でいずれかの語幹頭母音をとる動詞も多数あります。

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11.6.2. 語幹頭母音{i-}

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11.6.2.1.自分のための行為」


「自分自身が受益者(または被害者)である行為」「自分(または自分に属するもの)を対象とする行為」などを表現する動詞(= 再帰動詞)の語幹には、語幹頭母音{i-}がつきます。


[A]


imbonams (西) 自分を(または自分の○○を)洗う

~ ibonams ()

~ ibons (


Xe imbonu. (西) (その人が)自分の手を洗った

~ Xe ibonu. (中・東)


Xura vimbonare. (西) 私は(これから)自分の体を洗う、風呂に入る

~ Xura bimbonare. (AŞ-東部)

~ Xua bibonare.()

~ Xua vibonaminon. (HP)

~ Xua vibonaun. (ÇX)


(西部方言) 直説法・未完了相・現在時制「自分の○○を洗う」

主語

行為の対象の人称と数

1.単数

2. 単数

3.単数 

1.複数

2.複数

3. 複数

1.単数 

vimbonam






2.単数 


imbonam





3.単数 



imbonams




1.複数 




vimbonamt



2.複数 





imbonamt


3.複数 






imbonaman


● (AŞ-東部一人称単数bimbonam, 一人称複数 bimbonamt



(中部方言) 未来形「自分の○○をこれから(またはしばらく後で)洗う」

主語

行為の対象の人称と数

1.単数

2. 単数

3.単数 

1.複数

2.複数

3. 複数

1.単数 

bibonare






2.単数 


ibonare





3.単数 



ibonasen




1.複数 




bibonaten



2.複数 





ibonaten


3.複数 






ibonanoren (*)


● (*)(FN) ibonanen ; (AH-Pilarget etc) ibonanon



(中部・東部方言) 直説法・完了相・単純形「自分の○○を洗った」

主語

行為の対象の人称と数

1.単数

2. 単数

3.単数 

1.複数

2.複数

3. 複数

1.単数 

biboni ~ viboni






2.単数 


iboni





3.単数 



ibonu




1.複数 




bibonit ~ vibonit



2.複数 





ibonit


3.複数 






ibones



[B]


niçams (西・中) ~ niçaps () : 自分が功徳を積むことを主目的として施しをする


niçams ~ niçaps の語頭の{n-}は、動詞前辞{me-}の語幹頭母音の前での形態です(→ 11.7., 19.)



[C]


it’axams (西・中) ~ it’axaps () : 自分に属するもの(杖、歯、骨など)を折る

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11.6.2.2. 非人称法標識(→ 11.5.3.)


例 : işk’omen (西) ~ iç’k’omen (中・東) (不特定多数の人が)食べる」「食用になる」

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11.6.2.3. 機能不明・置換可能


語幹頭母音の欠如した形態を欠き、語幹頭母音{i-}のついた形態が「特に誰のためということを意識しない行為」を表現する動詞語幹が多数あります。


例 :

ibgars ~ ibgay ~ imgars 泣く

imt’en 逃げる

incirs ~ inciy (西) 眠る ;

(中・東) 眠る、寝る

i3’k’en ~ i3’k’ers () 漠然と眺める(*)


(*) cf. o3’k’en ~ o3’k’ers () 凝視する


●●●「機能不明の{i-}」のついた動詞語幹は、「非人称標識の{i-}」など他の種類の語幹頭母音を取ることができます。


●●●機能不明の{i-}」は、最近「外来語動詞形成接辞」になったと言えるかもしれません。


例 :

içalişams 仕事をする < トルコ語 çalış-

itelefonams 電話する < トルコ語 telefon <フランス語 téléphone

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11.6.3. 語幹頭母音{i-/u-}

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11.6.3.1.「特定の他者のための行為」


「特定の他者のための行為」「特定の他者の代わりにする行為」「特定の他者(または他者に属するもの)を対象とする行為」などを表現する動詞語幹には、語幹頭母音{i-/u-}がつきます。


「他者」(= 受益者、被害者など)が一人称・二人称の場合は{i-}, 三人称であれば{u-}という形態をとります。

[A]


umbonams (西) : 他者を(または他者の○○を)洗う

~ ubonams ()

~ ubons (


Beres xepe umbonu. (PZ) (その人が)子供の手を洗ってやった

~ Bere xe umbonu. (ÇM)(AŞ)

~ Beres xe ubonu. (中・東)


Nana-şk’imik xepe mimbonu. (PZ) お母さんが僕の手を洗ってくれた

Nana-şk’imi xe mimbonu. (ÇM)(AŞ)

Nana-çkimik xe mibonu. (中・東)


Beres xura vumbonare. (PZ) 私は(これから)子供の体を洗ってやる

~ Bere xura vumbonare. (ÇM)(AŞ-西部)

~ Bere xura bumbonare. (AŞ-東部)

~ Beres xua bubonare. ()

~ Beres xua vubonaminon. (HP)

~ Beres xua vubonaun. (ÇX)


上の例では、受益者(= bere : 子供)は与格または統合斜格です。直接目的語(xura ~ xua : , xepe ~ xe : )は絶対格です。


「手」は、

Pazar方言で

単数・複数共通形 xepe

有標識複数形 xepepe

それ以外のすべての方言で

単複共通形 xe

有標識複数形 xepe



(西部方言) 直説法・未完了相・現在時制「他者の○○を洗ってやる」

動作主

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数 

2.複数

3.単数複数

1.単数 


gimbonam

gimbonamt

vumbonam (*)

2.単数 

mimbonam

mimbonamt


umbonam

3.単数 

mimbonams

mimbonaman

gimbonams

gimbonaman

umbonams

1.複数 


gimbonamt

vumbonamt (**)

2.複数 

mimbonamt


umbonamt

3.複数 

mimbonaman

gimbonaman

umbonaman


(*)(AŞ-) bumbonam

(**)(AŞ-) bumbonamtu



(中部方言) 未来形 「他者の○○を洗ってやるつもりだ」

動作主

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数 

2.複数

3.単数複数

1. 


gibonare

gibonaten

bubonare

2. 

mibonare

mibonaten


ubonare

3. 

mibonasen

mibonanoren (1)

gibonasen

gibonanoren (2)

ubonasen

1. 


gibonaten

bubonaten

2. 

mibonaten


ubonaten

3. 

mibonanoren (1)

gibonanoren (2)

ubonanoren (3)


(1) (FN) mibonanen ; (AH-Pilarget etc) mibonanon

(2) (FN) gibonanen ; (AH-Pilarget etc) gibonanon

(3) (FN) ubonanen ; (AH-Pilarget etc) ubonanon



(中部・東部方言) 直説法・完了相・単純形 「他者の○○を洗ってやった」

動作主

受益者の人称と数

1.単数

1.複数

2.単数 

2.複数

3.単数複数

1.単数 


giboni

gibonit

buboni ~ vuboni

2.単数 

miboni

mibonit


uboni

3.単数 

mibonu

mibones

gibonu

gibones

ubonu

1.複数 


gibonit

bubonit ~ vubonit

2.複数 

mibonit


ubonit

3.複数 

mibones

gibones

ubones



[B]


nuçams (西・中) ~ nuçaps () : 他者の代わりに与える、立て替える;

他者に属するものを与える


nuçams ~ nuçaps の語頭の{n-}は、動詞前辞{me-}の語幹頭母音の前での形態です(→ 11.7., 19.)



[C]


ut’axams (西・中) ~ ut’axaps () : 他者に属するもの(杖、歯、骨など)を折る;

他者の代わりに折る、割る

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11.6.3.2. 経験法標識 (→ 11.5.4.)


例 : uşk’omapun (西) ~ uç’k’omun (中・東) : 「食べたことがある」

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11.6.3.3. 機能不明・置換不能


一部の静態動詞には、語幹頭母音{i-/u-}を伴った形態のみがあります。機能は不明です。「静態動詞」の項(→ 12.2.)で記述します。


例 : uşk’un (西) ~ uçkin (中・東)「知っている」

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11.6.3.4. 機能不明・置換可能


[A]


多語根の自動詞ulun (行く)とその派生語の直説法未完了相語幹には、語幹頭母音{i-/u-}の三人称受益者形と同じ形態のものがついています。機能は不明です。


vulur ~ bulur (私が)行く

ulur (あなたが)行く

ulun (あの人が)行く


このグループの動詞には可能法、非人称法、経験法があり、それぞれの法で語幹に別種の語幹頭母音がつきますから、前項(11.6.3.3.)のものと同列には扱えません。

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[B]


西部方言の(*)動態動詞udums ([眼を] 閉じる)の直説法語幹にも、語幹頭母音{i-/u-}の三人称受益者形と同じ形態のものがついています。機能は不明です。


vudum ~ budum (私が眼を)閉じる

udum (あなたが眼を)閉じる

udums ~ uduy (その人が眼を)閉じる


vudvi ~ budvi (私が眼を)閉じた

udvi (あなたが眼を)閉じた

udu (その人が眼を)閉じた


この動詞には可能法、非人称法、経験法があり、それぞれの法で語幹に別種の語幹頭母音がつきます。


(*) 中部・東部方言でこれに対応する動詞odums ~ odumersは、語幹頭母音{ø-}です。語頭の {o-} は、ごく稀な動詞前辞で(→ 19.)、西部方言には用例が見つかりません。


obdum ~ obdumer (私が眼を)閉じる

odum ~ odumer (あなたが眼を)閉じる

odums ~ odumers (その人が眼を)閉じる


obdvi (私が眼を)閉じた

odvi (あなたが眼を)閉じた

odu (その人が眼を)閉じた

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[C]


「走る」という意味の自動詞の直説法語幹にも、Arhavi郡以外の方言では、機能不明の{u-}がついています。


(西) vuk’ap’am ~ buk’ap’am (私が)走る

uk’ap’am (あなたが)走る

uk’ap’ams (あの人が)走る


(FN) oxobut’k’va3am

oxut’k’va3am

( oxut’k’va3ams) ~ oxut’k’va3un (*)


(*) 三人称の語幹脚が一・二人称のものと違うことが時々あります。

語頭の{oxo-} ~ {ox-}は「動詞前辞」です(→ 11.7., 19.)


(AH) p’t’aik’om

t’aik’om

t’aik’oms


(HP) bunk’ap’um ~ bunk’ap’up ~ bunk’ap’am ~ bunk’ap’ap

unk’ap’um ~ uk’ap’up ~ unk’ap’am ~ unk’ap’ap

unk’ap’ums ~ uk’ap’ups ~ unk’ap’ams ~ unk’ap’aps

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11.6.4. 語幹頭母音{a-}

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11.6.4.1.「特定の他者を標的とする行為」


語幹頭母音{a-}は「特定の他者を標的とする行為」を表現する間接他動詞を形成します。用例は少数です。この語幹頭母音の用法にどのような法則性があるのかを見極めるのは今後の課題です。


例 :

abgars 特定の人物に聞こえるように声を上げて泣く (cf. ibgars「泣く」)

gvaben (1) (液体が)特定の人や物にかかる (cf gobams(液体を)かける」) (3)

~ gaben (2)


(1) {gv-}は、西部方言で、動詞前辞{go-}(→ 11.7., 19.)の語幹頭母音{a-}の前での形態です。

(2) {g-}は、中部・東部方言で、動詞前辞{go-}の語幹頭母音{a-}の前での形態です。

(3) 動詞前辞{go-}+ 語幹頭母音{o-}(→ 11.6.5.)は、融合して{go-}という形態をとります。


「標的となる他者」は与格になります。次の例では「能格・与格構文」です。


Berek nana-muşis abgars. (PZ) 子供が母親に聞こえるように声を上げて泣いている

~ Bere nana-muşi abgay. (ÇM)(AŞ)

~ Berek nana-muşiz abgars. (FN)(AH)

~ Berek nana-muşiz namgars. (*)(HP)


(*) namgarsの語頭の{n-}は、動詞前辞{me-}(→ 11.7., 19.)の語幹頭母音の前での形態です。

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11.6.4.2. 可能法標識(→ 11.5.2.)


例 :

aşk’omen (西) 「食べることができる」「食べられる」「食べてしまう」

~ aç’k’omen (中・東)

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11.6.4.3. 機能不明・置換不能


一部の静態動詞、一部の移態動詞、一部の動態動詞には、語幹頭母音{a-}を伴った形態のみがあります。機能は不明です。「動詞の種別」の章(→ 12.)で記述します。


例 : nagen (*):「偶然に人に遇う」


(*) nagenの語頭の{n-}は、動詞前辞{me-}(→ 11.7., 19.)の語幹頭母音の前での形態です。


この種の動詞には、可能法、非人称法、経験法はありません。また、対応する使役動詞もありません。

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11.6.5. 語幹頭母音{o-}


同じ形態の接辞があります。それぞれの項を見て比較してください。


肯定冠接辞の一つ(→ 11.8.2.1.)

動詞的名詞の語頭の動詞前辞欠如標識(→ 15.)

動詞的形容詞の語頭の動詞前辞欠如標識(→ 15.)

中部・東部方言でごく少数の動詞につく動詞前辞(→ 19.)

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11.6.5.1. 他動詞化標識


[A]


「自動詞から派生した他動詞」の語幹頭母音は、特定の受益者を表示しない場合には{o-}です。


ogzalams (西) 歩かせる ; 行かせる (cf igzars ~ igzalams 歩く; 行く)

(中・東) 行かせる (cf igzals 行く、出発する)

oncirams (西) 眠らせる (cf incirs : 眠る)

(中・東) 寝かせる ; 眠らせる (cf incirs : 寝る、眠る)


ラズ語の他動詞はすべて複人称活用をします(→ 12.4., 13.)

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[B]


使役動詞(→ 12.5.)の語幹頭母音も、特定の受益者を表示しない場合には{o-}です。


obgarinams (西・中) 泣かす、泣かせる (cf ibgars ~ imgars : 泣く)

~ omgarinaps (HP)

omt’inams (のが)す、逃がす (cf  imt’en : 逃げる)

oputxinams 飛ばす、飛ばせる (cf putxun : 飛ぶ)

ot’axapams (*) 折らせる、割らせる (cf t’axums : 折る、割る)


(*) Arhavi郡のPilarget, Sidere, Jin-Napşitなどの村々の方言では、使役標識が{-ap-}の場合、語幹脚(→ 11.1.)は規則的に{-em}になります。例 : ot’axapems.


使役動詞もすべて複人称活用をします(→ 12.5., 13.)


語幹頭母音が{o-}である動詞の語幹脚は、Fındıklı郡以西の諸方言では常に{-am} になるようですが、現段階ではまだ断言はできません。


●●●「自動詞から派生した他動詞」および使役動詞は、語幹頭母音の種類に制約があるため、可能法、非人称法、経験法がありません

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[C]


対応する自動詞のない他動詞にも語幹頭母音{o-}のついたものがあります(***)


eyevoşk’omam (PZ)(ÇM)(AŞ-西部) (私が)(次の品を)食べる

~ eyeboşk’omam (AŞ-東部)

~ eyeboç’k’omam (FN)

~ ebopxor/eboç’k’omam (AH)

~ gebopxor/geboç’k’omam (AH)

~ gevomxor/gevoç’k’omap (HP)

~ gevoç’k’omap (ÇX)


cevobazgi ~ cebobazgi (西) (私が)踏みつけた

~ gebobaz*gi ()

~ gevobazgi ()


oxmarams (西)(*) (その人が)使


(*) 中部東部方言でこれに対応する動詞語幹頭母音「機能不明{i-}です


ixmarams (FN)(AH) (その人が)使

~ ixmars (AH- Jin-Napşit)

~ ixmars, ixmaraps (HP)


●●● (***)この種の動詞には、語幹頭母音の制約はありません


[可能法の例]

eyemaşk’omen (私に)(次の品を)食べることができる

~ eyemaç’k’omen

~ emaç’k’omen

~ gemaç’k’omen


cemazgu (私が)うっかり踏みつけてしまった

~ gemaz*gu


maxmaren (私に)使える


[非人称法の例]

eyişk’omen (不特定多数の人が)(次の品を)食べる

~ eyiç’k’omen


cibazgu (不特定多数の人が)うっかり踏みつけた

~ geyibaz*gu


ixmaren ~ ixmarinen (AŞ) (不特定多数の人が)使う、使える

~ ixmaren (AH)

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11.6.5.2. 機能不明・置換不能


一部の自動詞には機能不明の語幹頭母音{o-}がついています。 


colams (西)(1)(*)  真下へ落ちる


comç’ims (西)(1) 雨漏りがする

~ gyomç’ims (中・東)(2)


(*) 中部・東部方言でこれに対応する動詞はgelamsで、語幹頭母音は{ø-}です。

(1) 語頭の{c-}は動詞前辞{ce-}の母音の前での形態です。

(2) 語頭の{gy-}は動詞前辞{ge-} /a/, /o/, /u/ の前での形態です。


この種の自動詞には、可能法、非人称法、経験法はありません。また、対応する他動詞もありません。

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11.7. 動詞前辞(動作の方向などを示す接頭辞)


「動詞前辞」という術語は、フランス語préverbe、英語preverbの訳語として本稿の著者がラズ語文法の記述のために造語したものです。


「動詞前接辞」「動詞接頭辞」など既成の訳語は、ラズ語のように何種類もの接辞が動詞語幹の前後に連なる構造の言語では、接辞を位置によって分類する用語としては使えても、特定の種類の接辞の呼称としては不適当です。


ラズ語の動詞前辞は全方言を併せると五十種類ほどあり、動作の方向を示すのが主な機能ですが、「すぐ後から」とか「一緒に」のように方向とは無関係なものもあり、「間を」「真ん中から」のように位置を示すものもあり、また全く機能不明のものも多数あります。ここでは使用頻度の高いものをいくつか紹介するにとどめ、特に設けた「動詞前辞」の章(→ 19.)で詳述します。


動詞前辞は、(語幹頭母音の前の)前接人称標識の前につきます。その際に人称標識の形態によって母音脱落などの音韻変化を起こしますが、その様相は方言によってかなりの違いがあります。「動詞前辞」の章(→ 19.)で詳述します。


■■■ 動詞前辞のついた動詞は、原則として(1)(2)(3)動詞前辞の最終母音にアクセントがあります。最終母音が脱落する場合には、直後の母音にアクセントが移ります。


(1) 未来形と「過去における未来」形では、動詞前辞がついて動詞前辞の最終音節(または直後の音節)にアクセントが来ても、希求法標識{-a-}のアクセントは消えません。同一の動詞複合体に二つ以上のアクセントがあるのは、ラズ語では普通のことです。


(2) 語によっては動詞前辞の最終音節とその直後の音節に同等のアクセントのある場合が多数あります。そこに何らかの法則があるかどうかを見極めるのは今後の課題です。


(3) 動詞前辞は、分詞(→ 14.)の一部をなす場合には、無強勢です。

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[A] {me-} [1]「話者から遠くへ、遠くに」

[2] (機能不明)


 [1] mevulur ~ mebulur (私が)行く(1)

nulur (*) (あなたが)行く(1)

nulun (*) (あの人が)行く(1)


(*) 母音の前では、全方言で{n-}.

(1) Fındıklı郡以西の方言では「あなたのいるところへ行く」

  Arhavi郡以東の方言では「どこかへ行く」


 [2] meşonums (あの人が)期待している、希望している

~ meşvens

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[B] {mo-} 「話者のほうへ」


movulur ~ mobulur (私が)ここへ戻って来る

mulur (*) (あなたが)ここへ来る

mulun (*) (あの人が)ここへやって来る


(*) /u/ の前で{m-}. 他の変異形は後述します。

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[C] {e-}(西・中) ~ {ye-}() 「真上へ、真上に、急峻な斜面や崖を上へ」

evulur ~ ebulur (西・中) (私が)(階上に、屋根に、木に、崖を)登る

~ yevulur ()


eyulur (西) (1) (あなたが)(階上に、屋根に、木に、崖を)登る

~ yulur (中・東)(2)


eyulun (西) (1) (あの人が)登る、(煙が、太陽が、ロケットが)昇る

~ yulun (中・東)(2)


(1) 西部方言では、すべての母音の前で{ey-}.

(2) 中部・東部方言では、/a/, /o/, /u/の前で{y-}, /i/の前では{e-}.

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[D] {ela-}(西・中・HP) ~ {ila-}(ÇX)

[1]「緩やかな斜面を上へ、斜め上に」

[2]「片隅に、はじっこに、そばに」


[1] elevulur ~ elebulur (1) (私が)緩やかな斜面を登る

~ ilevulur (1)


elulur (2) (あなたが)緩やかな斜面を登る

~ ilulur (2)


elulun (2) (あの人が)緩やかな斜面を登る

~ ilulun (2)

(1) 人称標識の子音の前で{ele-}{ile-}.

(2) /i/, /u/ の前で{el-}{il-}. 他の変異形は後述します。


[2] elaxedun ~ ilaxedun (その人が)片隅に坐る、人のそばに坐る

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[E] {ce-}(西) ~ {ge-}(中・東) 「真下へ、真下に、崖下へ」


cevulur ~ cebulur (私が)(階下へ、樹上から、崖下へ)下りる

~ gebulur ~ gevulur


culur (西) (1) (あなたが)(階下へ、樹上から、崖下へ)下りる

~ gyulur (中・東)(2)


culun (西) (1) (その人が)(階下へ、樹上から、崖下へ)下りる

~ gyulun (中・東)(2)


(1) 西部方言では、すべての母音の前で{c-}.

(2) 中部・東部方言では/a/, /o/, /u/ の前で{gy-}.

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[F] {dolo-} 「鉛直に深いところの中へ、底へ」


delevulur (PZ)(1) (私が)(縦穴の底へ)下りて行く

~ dolovulur ~ dolobulur


delulur (PZ)(2) (あなたが)(縦穴の底へ)下りて行く

~ dolulur (3)

~ dululur (4)


delulun (PZ)(2) (その人が)(縦穴の底へ)下りて行く

~ dolulun (3)

~ dululun (4)


(1) Pazar郡方言では、人称標識の子音の前で{dele-}.

(2) Pazar郡方言では、/i/, /u/ の前で{del-}.

(3) ÇM, AŞ, FN, AH, HP方言で、/i/, /u/ の前で{dol-}.

(4) Çxala Akçakoca方言で /u/ の前で{dul-}

他の変異形は後述します。

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[G] {ama-} 「中へ、内側へ、中に、内側に」


amavulur ~ amabulur (私が)入る

amulur (*) (あなたが)入る

amulun (*) (その人が)入る


(*) 全方言で、/i/, /o/, /u/ の前で{am-}. 他の変異形は後述します。

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[H] {gama-} 「外へ、外に」


gamavulurt ~ gamabulurt (私たちが)出る

gamulurt (*) (あなた方が)出る

gamuluran ~ gamulunan (*) (その人たちが)出る


(*) 全方言で、/i/, /o/, /u/ の前で{gam-}. 他の変異形は後述します。

gamavulurte, gamabulurtu, gamulvan, gamulanなど

多様な地域変異形があります。

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[I] {go-} [1]「周りで、周りに、周りを」

[2] (機能不明)


[1] govulur ~ gobulur (私が)歩き廻る、散歩する

gulur (*)  (あなたが)歩き廻る、散歩する

gulun (*) (その人が)歩き廻る、散歩する


(*) 全方言で、/u/ の前で{g-}.


[2] gomaşinen (私が)思い出す

gogaşinen (あなたが)思い出す

gvaşinen (*) (その人が)思い出す

~ gaşinen (*)


(*) /a/ の前では、西部方言で{gv-}, 中部・東部方言で{g-}.

この語は「移態動詞」です(→ 12.3., 13.3.)

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[J] {koşka-}(西) 「間を、間へ、間に」

~{goşa-}(中・東)


koşkapxedur (私が)間に坐る

~ goşapxedur


koşkovulur (1) (私が)間を通る

~ koşkobulur

~ goşobulur

~ goşovulur


koşk’ulun (2) (その人が)間を通る

~ goşulun


(1) 人称標識の子音の前で{koşko-}~{goşo-}.

(2) /i/, /u/ の前で{koşk’-}~{goş-}

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[K] {oko-}[1] 「いっしょに」


okovibgart (私たちが)一緒に泣く

~ okobibgart

~ okovimgart


ok’ibgaran (*) (その人たちが)一緒に泣く

~ ok’imgaran


okovulurt ~ okobulurt (私たちが)落ち合う、集まる


ok’ulun (*) (水が)合流する


(*) /i/, /u/ の前で{ok’-}.

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[L] {koko-}(PZ) 「二つに割って、分けて」

~ {oko-}[2](AŞ中・東)


kokop’k’vatum (私が)二つに切り分ける

~ okop’k’vatum


(*) beres toma kok’untxozams (その人が)子供の髪を二本に分けて編んでやる

~ bere toma ok’untxozay

~ beres (n)toma ok’untxozams

~ beres mtoma ok’untxozaps


(*) /i/, /u/ の前で{kok’-}~{ok’}. 他の変異形は後述します。

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[M] {do-}(***) (機能不明)


dopxedur (私が)坐る


doxedi ! (あなたが)坐りなさい


deviguram (PZ)(1) (私が)習い覚える

~ doviguram

~ dobiguram

~ dovigurap


diguram ~ digurap (2) (あなたが)習い覚える


(1) Pazar郡方言で、語幹頭母音が{i-}, {i-/u-}のとき、人称標識の子音の前で{de-}.

(2) /i/, /u/ の前で{d-}. 他の変異形は後述します。


動詞前辞と語幹頭母音の両方に同等のアクセントがあります。


doviguram, dobiguram など


(***) 後述する肯定冠接辞{do-}(→ 11.8.2.3.)と同形態です。

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11.8. 肯定と否定


11.8.1. 無標識肯定と否定標識 

11.8.2. 肯定冠接辞

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11.8.1. 無標識肯定と否定標識


ラズ語の動詞は、日本語と同じように「否定標識がなければ肯定」です(*)


(*)「有標識の肯定」については次項の「肯定冠接辞」を見てください。


命令法は肯定のみ、禁止法(→ 11.5.1.5.)と禁止希求法(→ 11.5.1.6.)は否定のみで、それ以外の法に肯定と否定の区別があります。


ここでは、命令法、禁止法、禁止希求法以外の法の否定標識を扱います。否定標識はすべて前接辞で、動詞前辞よりも更に前に来ます。


11.8.1.1. var- ~ va-

11.8.1.2. vati + 希求法 (PZ)

11.8.1.3. vat’o + 希求法 (AŞ)

11.8.1.4. vati ~ varti (FN)

11.8.1.5. vati ~ varti (AH)

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11.8.1.1. var- ~ va-


(命令法、禁止法、禁止希求法以外の)すべての法で、すべての相、すべての時制、すべての人称と数で否定標識としてvar- ~ va-を用います。ただし諸種の希求法での用例は僅少です。


母音の前でvar-, 子音の前でva-という形態をとることが多いようですが、逆の例も珍しくはありません。


否定標識var- ~ va-は、ラズ人の中には後続の前接辞や動詞語幹と続け書きする人も多いのですが、本稿ではハイフンつきで綴っています。理由は、次の通りです。


[1] ラズ語の動詞複合体は、語幹の前後に十数種類の接辞が連鎖して非常に長くなることがあるので、形態上「独立性」の高いものをハイフンつきで書くことにしたほうが読みやすい。


[2] 西部方言と東部方言には一人称標識{v-}+ 語幹頭母音{a-}の組み合わせで始まる語があるため、「否定標識はハイフンつきで綴る」原則にしておくと誤解が起こらない。


[3] var-on (西部方言で「ない」「ではない」「にはない」)va-ren (中部・東部方言で「ない」「ではない」「にはない」)のように切り離して綴ると、/r/ が「否定標識の最終音素」なのか「次の構成要素の第一音素」なのかがはっきりする。


■■■ 常に強いアクセントがあります。後続の部分は、「動詞前辞のつかない非未来形」のように単純な構成の場合は無強勢になることもあります。動詞前辞がある場合や未来形などの場合には、後続の部分のアクセントは消えません。一つの動詞複合体に二つ以上のアクセントがあるのは、ラズ語では普通のことです。別の言い方をすると、ラズ語の動詞複合体は単一のアクセント単位ではありません。


va-çams (その人が)食事を供さない、食べさせない

va-çu (その人が)食事を供さなかった、食べさせなかった

var-imt’en (その人が)逃げない

var-imt’u (その人が)逃げなかった

var-imxors ~ var-ipxors (その人が)食べない

~ va-ç’k’omups (ÇX)

va-şk’omu ~ va-ç’k’omu (その人が)食べなかった

va-şk’omasere (PZ-西・中) (その人は)食べないだろう

~ va-şk’omasen

~ va-ç’k’omasen

~ va-ç’k’omasinon (HP)

~ va-ç’k’omasun (ÇX)

va-putxun (その鳥が)飛ばない

va-putxu (その鳥が)飛ばなかった

va-mç’ims (雨が)降らない

~ va-mç’vips (ÇX)


va-movulur (私は)ここへ戻って来ない

~ va-mobulur

va-gamavulur (私は)外へ出ない

~ va-gamabulur

va-ok’ibgares (その人たちは)一緒に泣かなかった

~ va-ok’imgares

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11.8.1.2. vati + 希求法(PZ)


Pazar郡方言の{vati + 希求法}という形態は「未来形否定」と同義です。


vati vida (= va vidare) 私は行かない

vati meft’a (= va meft’are) 私はあなたのところへは行かない

vati şk’omas (= va şk’omasere) (その人は)食べないでしょう

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11.8.1.3. vat’o + 希求法(AŞ)


Ardeşen郡方言の{vat’o + 希求法}という形態は「(気が進まないから)十中八九○○しないだろう」という予想を表現します。


vat’o vida ~ vat’o bida 私は恐らく行かないと思います

vat’o moft’a 私は多分ここへ戻って来ません

vat’o şk’omay まあ、あの人は食べないでしょうね


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11.8.1.4. vati ~ varti (*) (FN)


意味の異なる用法の報告があります。更なる調査が必要です。

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[A] (FN-Sumla)


Mp’olişa varti memalasen. (*) イスタンブールへ行けないことに

なるかもしれません


(*) この文例はSumla村に在住のNurdoğan Demir Abaşişi氏からの報告によるものです。

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[B-1] (FN-Ç’urç’ava)


- Nana-çkimi, baba komoxtu-i, p’ea ?(*)(1) お母さん、もしかしてお父さん帰って来てる ?

- Varti moxtu ! 来てるわけがないでしょ !


(*) komoxtu ([その人が]来た)の語頭の{ko-} は「肯定冠接辞」です(→ 11.8.2.)



[B-2] (FN-Ç’urç’ava)


- Si ç’andaşa idare-i ? (2) 君、(結婚式の)披露宴に行くかい。

- Varti bidare ! 行く気は全然ないよ。


(1)(2) [B]の文例はÇ’urç’ava村に代々住むHasan Uzunhasanoğlu氏からの報告によるものです。なお、報告の原文にはハイフンがなく、Nana çkimi, baba komoxtu i ... と綴っています。

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11.8.1.5. vati ~ varti (AH)


Varti bidare. どっちみち行く気はないよ。

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11.8.2. 肯定冠接辞 (肯定強調標識)


11.8.2.1. {o-}(*)

11.8.2.2. {menda-/minda-} (1)

11.8.2.3. {do-}

11.8.2.4. {ko-/ho-} (2)


(*) Çxala方言を除く。


(1) Çxala方言で{minda-}、それ以外のすべての方言で{menda-}

(2) 西部・中部方言で{ko-}、東部方言で{ko-} ~ {ho-}


● {o-}{menda-/minda-}はごく少数の動詞にしかつきません。


● {o-}{menda-/minda-}{do-}は「動詞前辞のついていない動詞」にのみつきます。


● {ko-}は「動詞前辞のついた動態動詞」につき、また「動詞前辞のついていない存在動詞や静態動詞」にもつきます。


●●● 連体節および名詞節(→ 17.)では、肯定冠接辞を用いることはありません。また、動詞的名詞(→ 15.)、分詞(→ 14.)にも肯定冠接辞がつくことはありません。


肯定冠接辞はすべてアクセントがあります。二音節からなる{menda-/minda-}は、語頭から二番目の音節にアクセントがあります。{menda-/minda-}, {do-}, {ko-}の最終母音が脱落する場合は、直後の母音にアクセントが移ります。

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11.8.2.1. 肯定冠接辞{o-}


同じ形態の接辞があります。それぞれの項を見て比較してください。


語幹頭母音の一つ(→ 11.6.5.)

動詞的名詞の語頭の動詞前辞欠如標識(→ 15.)

動詞的形容詞の語頭の動詞前辞欠如標識(→ 15.)

中部・東部方言でごく僅かな動詞につく動詞前辞(→ 19.)


この肯定冠接辞は、Çxala方言にはありません。

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11.8.2.1.1. 肯定冠接辞{o-}のつく動詞のリスト


肯定冠接辞{o-}のつく少数の動詞は、分布と形態・用法によって次のように分類することができます。



[A] (Çxala以外の)全方言に分布し、語幹頭母音が{ø-}または「機能不明の{i-}」であるもの


imxors ~ ipxors 食べる

çams ~ çaps 食べさせる


ç’opums ~ ç’opups まえる

iç’open 捕まる


şums ~ şups 飲む



[B] (Çxala以外の)全方言に分布し、語幹頭母音が「非人称法標識の{i-}」「自分のための行為を表わす{i-}」または「他者のための行為を表わす{i-/u-}」であるもの


int’alen じり

unt’alams ~ unt’alaps [特定の人物のために、特定の人物のものを] 交ぜる


işk’omen [不特定多数の人物が] 食べる

~ iç’k’omen


uşk’omams [特定の人物のために、特定の人物のものを] 食べる

~ uç’k’omams ~ uç’k’omaps


uç’opams ~ uç’opaps [特定の人物のために、特定の人物のものを] 捕まえる


uşvams ~ uşvaps [特定の人物のために、特定の人物のものを] 飲む



[C] 西部方言でのみ肯定冠接辞{o-}を伴うもの


ç’ums 燃やす、焼く

uç’ums [特定の人物のために、特定の人物のものを] 燃やす、焼く

’ven 燃える、焼ける


udums (西)(1) [] じる


inor- (西)(*) [意味不明](*)


(*) この動詞は、西部方言の民謡の歌詞に、肯定冠接辞{o-}のついた直説法完了相基本形一人称単数の用例のみがあります(→ 11.8.2.1.2.C-5)。一説では「(恋、嫉妬などの炎に焼き尽くされて)灰になってしまう」という意味だとのことですが、「さあ・・・そうかなあ・・・」という反応のほうが多数です。直説法未完了相現在三人称単数形は*inors, *inoren, *inoramsなどであり得ますが、実例が見当たりません。本稿では「未完了相の形態が不明であることをハイフンで示した形」をこの動詞の代表形としています。


(1) 対応する中部・東部方言形は、次項で(→ 11.8.2.1.2.C-4)記述しています。


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11.8.2.1.2. 肯定冠接辞{o-}用例


[A] (Çxala以外の)全方言に分布し、語幹頭母音が{ø-}または「機能不明の{i-}」であるもの


このグループの動詞では、肯定冠接辞は完了相でのみ用います。未完了相での用例は見当たりません。一人称単数形を例示します。


imxors ~ ipxors pşk’omi ~ p’ç’k’omi 食べた

opşk’omi ~ op’ç’k’omi 食べたよ、食べたとも(*)

[(ÇX) kop’ç’k’omi]


(*) 文脈によっては「今、食べたばかりだ」という意味にもなります。


pşk’omare ~ p’ç’k’omare (これから)食べる

opşk’omare ~ op’ç’k’omare もちろん食べるよ


[(ÇX) kop’ç’k’omaun]


(これ以下、完了相基本形のみを例示します)


çams ~ çaps pçi べさせた

opçi 確かに食べさせました


[(ÇX) kopçi]


ç’opums ~ ç’opups p’ç’opi まえた

op’ç’opi 捕まえたぞ


[(ÇX) kop’ç’opi]


iç’open viç’opi ~ biç’opi 捕まった

oviç’opi ~ obiç’opi ああ、捕まってしまった


[(ÇX) koviç’opi]


şums ~ şups pşvi 飲んだ

opşvi 飲んだよ、飲んじゃったよ


[(ÇX) kopşvi]


[B] (Çxala以外の)全方言に分布し、語幹頭母音が「有機能の{i-}」または「他者のための行為を表わす{i-/u-}」であるもの


このグループの動詞では、肯定冠接辞は完了相でも未完了相でも用います。


int’alert’u (1) (それが)じりっていた

oint’alert’u (*)(1) (それが)完全に交じり合っていた


[(ÇX) kint’ale(r)t’u]


(*) oyint’alert’u ~ oynt’alert’uとも

(1) 複数の無生物または植物が主語の場合に動詞が単数形になることがよくあります。


mint’alu 私のために(私の代わりに、私のものを)交ぜた

omint’alu


[(ÇX) komint’alu]


işk’omu ~ iç’k’omu [不特定多数の人物が] 食べた

oişk’omu ~ oiçk’omu (*)


[(ÇX) kiç’k’omu]


(*) oyişk’omu ~ oyşk’omu; oyiç’k’omu ~ oyç’k’omuとも


gişk’omams あなたのために(あなたの代わりに、あなたのものを)食べている

~ giç’k’omams

~ giç’k’omaps

ogişk’omams

~ ogiç’k’omams

~ ogiç’k’omaps


[(ÇX) kogiç’k’omaps]


vuç’opi ~ buç’opi 私はあの人のために(あの人に代わって、あの人のものを)捕まえた

ovuç’opi ~ obuç’opi 


[(ÇX) kovuç’opi]


mişvams ~ mişvaps 私のために(私の代わりに、私のものを)飲んでいる

omişvams ~ omişvaps


[(ÇX) komişvaps]


omişu ~ omişşu (AŞ) 私のために(私の代わりに、私のものを)飲んだ


●●● 主語が三人称の場合、uç’opu (その人が他者のために捕まえた), uşk’omams ~ uç’k’omams ~ uç’k’omaps (その人が他者のものを食べる), uşvams ~ uşvaps (その人が他者のものを飲む) などの形態はありますが、 *ouç’opu, *ouşk’omams ~ *ouç’k’omams ~ *ouç’k’omaps, *ouşvapsなどの形態は観察できません。(***)


■■■ (***) uç’opu, uç’k’omamsのような三音節以上の語でアクセントが語頭音節にあったり語末から二番目の音節にあったりするところを見ると、恐らく肯定冠接辞{o-}と語幹頭母音{u-}が隣接した場合、両者が融合して単一の音素 /u/ になるのだろうと推定できます。



[C] 西部方言でのみ肯定冠接辞{o-}を伴うもの


[C-1] ç’ums (燃やす、焼く)


p’ç’vi 私が燃やした、焼いた

op’ç’vi (*) 私が全部燃やしたよ


(*) 中部・東部方言では(Çxalaを含めて)この動詞につく肯定冠接辞は{do-}です。

dop’ç’viと言います。


[C-2] uç’ums ([特定の人物のために、特定の人物のものを] 燃やす、焼く)


miç’u 私のために(私の代わりに、私のものを)燃やした、焼いた

omiç’u (*)


(*) 中部・東部方言では(Çxalaを含めて) domiç’u

[C-3] iç’ven (燃える、焼ける)


viç’vi ~ biç’vi 私は火傷をした (1)

oviç’vi ~ obiç’vi (*) 私は大火傷をした (1)


(*) 中部・東部方言では(Çxalaを含めて) dobiç’vi ~ doviç’vi


(1) 主語が植物または無生物の場合は「(たきぎが)燃えた、(家などが)焼けた」という意味ですが、人間の場合は、「火傷をした」という意味の他、比喩的に「(片思いで)身も心も焼かれるような苦痛に耐えかねている」という意味で恋歌でよく用います。


[C-4] udums (西)([眼を] 閉じる) (1)(2)


vudvi ~ budvi 私は[] じた

ovudvi ~ obudvi


(1) (FN)(AH)(HP) 中部・東部方言でこれに対応するodums ~ odumers には、動詞前辞{o-}(→ 19.) (*)がついています。動詞前辞ですから、否定標識があっても消えることはありません。


Fındıklı郡や Arhavi郡中心部の方言で次のように活用します。

obdum, odum, odums ... ; var-obdum, var-odum, var-odums ...

obdvi, odvi, odu ... ; var-obdvi, var-odvi, var-odu ...


ArhaviPilarget村などや Hopa郡の方言では次のように活用します。

obdumer, odumer, odumers ... ; var-obdumer, var-odumer, var-odumers ...

obdvi, odvi, odu ... ; var-obdvi, var-odvi, var-odu ...


(*) 動詞前辞{o-}は機能不明です。西部方言には用例が見当たりません。

中部・東部方言でこの他opşams (一杯にする)にのみ現れます。


(2) (ÇX) Çxala方言ではodvarsがこれに対応します。動詞前辞も肯定冠接辞もついていません。次のように活用します。

vodvar, odvar, odvars ... ; var-vodvar, var-odvar, var-odvars ...

vodvi, odvi, odu ... ; var-vodvi, var-odvi, var-odu ...


[C-5] inor- (西)[意味不明]


ovinori ~ obinori (1) [意味不明]


(1) 西部方言の民謡の歌詞で唯一 “oviç’vi do ovinori ~ obiç’vi do obinoriという言い廻しに現れます。oviç’vi ~ obiç’vi ([文字通りの意味] 私は火傷をした、[比喩的に] 苦痛に耐えかねている)と似た意味なのかもしれませんが、他に用例がないので憶測の域を出ません。

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11.8.2.2. 肯定冠接辞{menda-/minda-}


音韻変異 :


{前接人称標識ø- + 語幹頭母音}{mend-/mind-}

{前接人称標識子音 + 語幹頭母音}{mende-/minde-}


肯定冠接辞{menda-/minda-}は、「行く」「持って行く」「連れて行く」「(西・FN) (牛、山羊、羊を)追って行く、連れて行く」「(植物または無生物を)送る」「(人間または動物を)送り出す、(止めないで勝手に)行かせる」および「(中・東) (遠くを)眺める」という意味の動詞にのみつきます。


完了相でも未完了相でも用います。非人称法の用例もあります。


ulun, mendulun, mindulun (その人が)行く


cf var-ulun (その人は行かない)


idu, mendaxt’u (西) (その人が行った)

~ idu, mendaxtu (中・HP)

idu, mindaxtu (ÇX)


cf var-idu (その人は[まだ]行っていない)


ilven, mendilven ([不特定多数の人物が] 行く、行ける)

~ ilen, mendilen

~ ilinen, mendilinen

~ ilen, mindilen


cf var-ilven ~ var-ilen ~ var-ilinen (行かない、行けない)


uğams, menduğams (西) (その人が持って行く)(1)

~ umers, mendumers ()(HP)

~ umars, mindumars (ÇX)


uyonu, menduyonu (西・中) (その人が連れて行った)(1)

~ ux’onu, mendux’onu (HP)

~ ux’onu, mindux’onu (ÇX)


puci vupini, puci mendevupini (西) (私が牛を追って行った) (2)

~ puci bupini, puci mendebupini (西)(FN)


gincğona, mendegincğona, mindegincğona (私があなたに[植物または無生物を]送ります)


oşk’u, mendoşk’u, mindoşk’u (その人が[ある人を]行かせました)


menda3’k’edu, minda3’k’edu (中・東) (その人が[遠くを]眺めやった)



(1) menduğams, menduyonamsには、西部方言では「無理やり(奪い取って)持って行く」「無理やり連れて行く」という意味もあります。


(2) Vupini ~ bupiniは、一般には「(私が)広げた、並べた、陳列した」という意味です。Arhavi 以東の方言では「家畜を追って行く、連れて行く」という意味はありません。

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11.8.2.3. 肯定冠接辞{do-}


同じ形態の動詞前辞があります(→ 11.7.M, 19.)


音韻変異 :


{前接人称標識ø- + 語幹頭母音}の前で

語幹頭母音が{i-}{i-/u-}であれば 全方言で {d-}

語幹頭母音が{o-}であれば (ÇM)(AŞ)(ÇX) {dv-}

(PZ)(FN)(AH)(HP) {d-}

語幹頭母音が{a-}であれば (西)(ÇX) {dv-}

(FN)(AH)(HP) {d-}


{前接人称標識の子音 + 語幹頭母音}の前で

Pazar郡方言に限り、 語幹頭母音が{i-}{i-/u-}であれば{de-}

語幹頭母音が{a-}{o-}であれば{do-}

Çamlıhemşin郡以東の方言では常に{do-}


■■■ 肯定冠接辞{do-}には必ずアクセントがあります。母音の前で{d-}~{dv-}という形態になるときには直後の母音にアクセントが移ります。


動詞複合体が冠接辞を含めて二音節の場合は、後続部分は無強勢になります。


動詞複合体が三音節以上の場合、後続部分のアクセントは消えません。二つ以上あるアクセントは、同等の場合もあり、高さ・強さ・長さの差がある場合もあります。


語幹頭母音が{ø-}であれば、完了相でのみ用います。


語幹頭母音が{ø-}以外であれば、未完了相の用例もありますが、動詞前辞を伴わないすべての動詞のすべての法、時制で広く用いるわけではありません。頻繁に肯定冠接辞{do-}を伴う動詞とそうではない動詞との間に何らかの分類法則があるかどうかを見極めるのは今後の課題です。


未完了相現在形に肯定冠接辞{do-}のついた形態は(目前で起こっている行為ではなく)「習慣的に繰り返す行為」を表わします。


完了相に冠接辞のついた形態にはこういった意味合いはありません。「確かにやった、間違いなくやった」と肯定を強調するだけです。


ixenams (西・中) ~ ixvenaps () (その人が今) 自分自身のためにやっている

dixenams (西・中) ~ dixvenaps () (その人はしばしば) 自分自身のためにやる


ixenu (西・中) ~ ixvenu () (その人が) 自分自身のためにやった

dixenu (西・中) ~ dixvenu () (その人は) 確かに自分自身のためにやった


uxenams (西・中) ~ uxvenaps () (その人が今) 別の人の代わりにやっている

duxenams (西・中) ~ duxvenaps () (その人はしばしば) 別の人の代わりにやる


uxenu (西・中) ~ uxvenu () (その人が) あの人の代わりにやった

duxenu (西・中) ~ duxvenu () (その人は) 確かに別の人の代りにやった


puci unç’valams (西) (その人が今) 別の人のために牛の乳を搾っている

puci dunç’valams (西)  (その人はしばしば) 別の人のために牛の乳を搾る


cf puci nç’valums (その人が[特に誰のためということはなく]牛の乳搾りをしている)


中部・東部方言ではこの意味の動詞に肯定冠接辞{do-}のつく例は見当たりません。

「搾乳する」は、munç’valums (AH), nç’valums ~ nç’valups (HP)のほか、

puciz muzdams (FN), puciz muzdoms (AH), puciz muzdaps (HP)とも言います。


動詞前辞のついた動詞に肯定冠接辞{do-}がつくことはありません。

(上の例では{mo-}が語幹頭母音の前で{m-}という形態になっています)


p’t’axi, dop’t’axi (私が)割った、折った


vu3’vi, devu3’vi (PZ) (私が)あの人に告げた

~ vu3’vi, dovu3’vi (ÇM)(AŞ-西部)(HP)(ÇX)

~ bu3’vi, dobu3’vi (AŞ-東部)(FN)(AH)


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11.8.2.4. 肯定冠接辞{ko-}


東部方言では時に{ho-}という変異形を観察します。


音韻変異 : 母音の前で、全方言で{k-}となります。


■■■ 肯定冠接辞{ko-}には必ずアクセントがあります。母音の前で{k-}という形態になるときには直後の母音にアクセントが移ります。


動詞複合体が冠接辞を含めて二音節の場合は、後続部分は無強勢になります。


動詞複合体が三音節以上の場合、後続部分のアクセントは消えません。二つ以上あるアクセントは、同等の場合もあり、高さ・強さ・長さの差がある場合もあります。



[A] 存在動詞(→ 12.1.)の例 (常に未完了相)


kon (西) 存在する  cf var-on (存在しない)

~ koren () cf va-ren

~ koyen (中・東) cf va-yen



[B] 価値動詞(→ 12.2.)の例 (常に未完了相)


ğirs, koğirs それは(○○円の、○○ユーロの)価値がある



[C] 静態動詞(→ 12.2.)の例 (常に未完了相)


pxer, kopxer 私は坐っている


mişk’un, komişk’un (西) 私は知っている

~ miçkin, komiçkin (中・東)



[D] 動詞前辞のついた動態動詞(→ 12.4.)の例


[D-1] 完了相


amaxt’u, kamaxt’u (西) その人が入った、それが入った

~ amaxtu, kamaxtu (中・東)


dopxedi, kodopxedi 私は坐った


dololu, kodololu それが深く狭いところへ鉛直に落ちた


elaxedu, kelaxedu その人は傍らに坐った


moxt’i ! , komoxt’i ! (西) おいで、来なさい、来てください

~ moxti ! , komoxti ! (中・東)


[D-2] 未完了相での用例が間々ありますが、この場合は「時々繰り返す行為」を表わします(*)


goimsk’vanams ~ goimskvanams (その人は、今)化粧している

kogoimsk’vanams ~ kogoimskvanams (その人は、時々)化粧する


●●● (*)この用法は、一部の動詞にしかないようです。どういう条件でこの用法が可能なのかを見極めるのは、今後の課題です。

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11.9. 疑問


11.9.1. 疑問詞があれば動詞は無標識

11.9.2. 疑問標識 = 最終接尾辞{-i}

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11.9.1. 動詞に疑問標識のない疑問文


文中に疑問詞があれば、動詞には疑問標識はつきません。


Xasani nak ulun ? (PZ) Xasani君はどこへ行くの。

~ Xasani so ulun ? (Çanlıhemşin郡以東の全方言)


Aşela mundes moxt’u ? (PZ) Aşelaさんはいつ来たの。

Aşela munde moxt’u ? (ÇM)(AŞ)

Aşela mundez moxtu ? (FN)(AH)(HP)(ÇX)


日本語と同じで、文中に疑問詞があってもなくても語順は変わりません


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11.9.2. 疑問標識 = 最終接尾辞{-i}


文中に疑問詞がない場合、動詞に疑問標識として最終接尾辞{-i}がつきます。疑問標識の形態は、法・相・時制などによって変わることはありません。また全方言で同じ形態です。


命令法、禁止法、禁止希求法には疑問形はありません。


最終接尾辞{-i}の直前の音素が母音であれば、二つの母音の間に添加音として弱い /y/ の聞こえることがよくあります。本稿ではこの現象を綴りに反映する必要はないと判断しています。


最終接尾辞{-i}の直前の音素が子音であれば、その子音と最終接尾辞は単一の音節として発音します。言い換えると、最終接尾辞の前に発音の切れ目はありません。


疑問標識{-i}には先行部分とは独立したアクセントがあり、イントネーションは常に下降調です。


Aşela moxt’u-i ? (西) Aşelaさんは来たのかい。

~ Aşela moxtu-i ? (中・東)


Xasani moxt’asere-i ? (PZ-西部・中部) Xasani君は来るのかな。

~ Xasani moxt’asen-i ? (PZ-東部)(ÇM)(AŞ)

~ Xasani moxtasen-i ? (FN)(AH)

~ Xasani moxtasinon-i ? (HP-Makreal村など)

~ Xasani moxtasunon-i ? (HP-Mxigi村など)

~ Xasani moxtasun-i ? (ÇX)


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●●● Pazar郡方言でときおりÇamlıhemşin郡とArdeşen( Dutxe 村以外の)方言では規則的に「語末子音() /-s/, /-ms/, /-rs/ /-y/ による置換」が起こりますが、この現象は、疑問標識{-i}がつくと、語末ではなくなるため、起こりません。


[平叙形] [疑問形]


t’axuy (その人が)折る、割る、割っている t’axums-i ?

mç’i(y) (雨が)降る、降っている mç’i(m)s-i ?

u3’ome(y) (その人が)特定の人に告げる u3’omers-i ?

imxoy (その人が)食べる、食べている imxors-i ?

ide(y) (その人たちが)行った ides-i ?

komoxt’ay (その人に)来てもらいたい moxt’as-i ?


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●●● Çamlıhemşin郡とArdeşen郡の方言で語末の/-ms/, /-rs/, /-mt/ , /-rt/ の後に現れる「語末添加母音/-u/, /-e/」も、疑問標識の前に現れることはありません。


[平叙形] [疑問形]


çamsu (AŞ- Dutxe) (その人が)食べさせる çams-i ?

imxorsu (AŞ- Dutxe) (その人が)食べる imxors-i ?


p’t’axumtu (私たちが)折る、割る p’t’axumt-i ?

~ p’t’axumte (ÇM- M3’anu)


vimxortu (私たちが)食べる vimxort-i ?

~ vimxorte (ÇM- M3’anu)

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11.10. 動詞複合体における接辞の連鎖


これまで見てきたように、ラズ語の動詞複合体は、語幹の前後に多数の接辞がついてさまざまな法、相、時制、人称、数、肯定・否定、疑問などを表わす仕組みになっていますが、接辞の連鎖には一定の法則があり、順序が次のように決まっています。


[使役語幹(→ 12.5.)、大過去標識(→ 13.)、伝聞過去標識(→ 13.)、条件節・譲歩節標識(→ 16.)、連体節・名詞節標識(→ 17.)については後述します]


[1] 冠接辞(1) 連体節・名詞節冠接辞{na-}

肯定冠接辞 {o-, menda-, do-, ko-} 

[2] 否定標識 {var- ~ va-, など}

[3] 動詞前辞 {me-, mo-, dolo- など}

[4] 前接人称標識 {v- ~ b-, ø-}{m-, g-, ø-}

[5] 語幹頭母音 {ø-, i-, i-/u-, a-, o-}

[6] 語幹

[7] 使役語幹形成接辞 I {-in-}

[8] 使役語幹形成接辞 II {-ap-}

[9] 語幹脚 {-am, -em, -om, -um ; -er, -ur ; -omer ~ -umer}

[10]「回想・希望」標識 {-t’-}(3) 

[11] 希求法標識 {-a}(2)(3) 

[12] 後置人称標識 {-ø, -s, -n, -an ; -i,-u, -es ~ -ez}(4)(6) 

[13] 複数標識 {-t}(4)(5) 

[14] 最後から二番目の接尾辞 大過去標識 {-dort’un}

伝聞過去標識 {-doren}

願望法標識 {-k’o}(5)(6) 

[15] 最終接尾辞 (7) 疑問標識 {-i }

条件節・譲歩節標識 {-na} 



(1) 禁止法・禁止希求法の標識{mot}も、「na感嘆文」(→ 18.)の標識も、[1]の位置に来る冠接辞です。


(2) 完了相希求法の場合、希求法標識は語幹の直後につきます。


(3) 存在動詞や静態動詞の未来形は未完了相希求法から派生します。Arhavi郡以外の諸方言にある「過去における未来」形の場合、形態素{-t’-}が「未完了相希求法を形成する希望標識」および「未完了相過去時制を形成する回想標識」として同一の動詞複合体に二度現れます(→ 13.)


mişk’ut’asert’u (西) 知るはずだった

miçkit’at’u ~ miçkit’astun (FN)(*)

miçkit’asunt’u (HP)


(*) 右側の形態miçkit’astunの二つ目の太字は非放出音の /t/ です。中部・東部方言の 発音習慣では、摩擦音の後で放出音が常に非放出音化します。


(4) 後置人称標識は時制標識を兼ね、多くの場合さらに数標識をも兼ねます(→ 11.2., 11.3., 11.4.)


(5) 西部方言では、願望法標識の後に一人称と二人称の複数標識が来ます(→ 11.5.1.3.1.)


(6) 西部方言では、願望法標識が三人称複数標識の「中に割り込んだ」形で融合しています(→ 11.5.1.3.1.)


(7) 後置接続詞I, IIのうち接尾辞型の{-şa}{-şi }(→ 6.2., 6.3.)なども、[15] の位置に来る最終接尾辞です。ラズ語では、接尾辞と後置接続詞との間に明確な境界はありません。


●●● 分詞(→ 14.)や動詞的名詞(→ 15.)の構成における接辞の連鎖については、それぞれの章を見てください。